名前のない香水

風呂場のドアを閉めると、
ようやく少し静かになった。

「ほら、もう上がるぞ」
「走るな、滑るから」

幼稚園の弟と、小学生の弟。
二人分のタオルを手に、
桐谷は慌ただしく動いていた。

湯気の残る脱衣所。
洗面台には、
いつものように家族の歯ブラシが並んでいる。

「お兄」

背後から、
少し呆れた声がした。

振り向くと、
中学生の妹がスマホを手に立っている。

「なんか、メール来てるよ」

「……今?」

「うん。しかもさ」

にやっと、
意味ありげに笑う。

「花火大会、誘ったんだって?」
「へぇ〜。やるね〜」

一瞬、
頭が真っ白になる。

「……は?」

妹は、
スマホの画面を軽く振る。

「一ノ瀬さん、って人から」
「『行こうと思います』って」

その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥が、どくっと鳴った。

(……来た?)

でも、
すぐにスマホを見る余裕はない。

「ちょ、ちょっと待て」
「今それどころじゃ……」

「はいはい」
「弟たち優先ね〜」

からかうように言いながら、
妹は一歩引いた。