名前のない香水

診察室を出ると、
廊下の窓から夏の光が差し込んでいた。

眩しいはずなのに、
胸の奥は、まだ少し重い。

数値は、
「すごく良い」とは言えない。
でも、
「すぐ入院」と決まったわけでもない。

曖昧で、判断に迷う結果。

(……行ける、のかな)

花火大会。
夜の人混み。
体調の波。

不安を挙げれば、きりがない。

それでも——
ふと、思った。

(無理、しなければいいんだ)

全部見なくてもいい。
最後までいなくてもいい。
途中で帰ってもいい。

(数値は、正直よくなかった)

それは、
ちゃんと分かっている。

でも——

文化祭のとき、
体育館の倉庫で、
一瞬だけ閉じ込められたあの時間。

もし、あれが一人だったら、
きっと、もっと早く苦しくなっていた。

人の気配がなくて、
逃げ場もなくて、
不安だけが膨らんで。

でも、あのときは違った。

隣に、
桐谷くんがいたから。

「大丈夫?」
そう聞かれて、
無理に元気なふりをしなくてよかった。

ただ一緒に、静かに座っていられた。

(……一人じゃ、なかった)

だから、思ってしまう。

きっと。
桐谷くんと一緒なら、
大丈夫かもしれない、って。

無理をしないで。
短い時間で。
途中で帰ってもいい。

それでも、
「行きたい」と思えたのは——

あのとき、
そばにいてくれたから。