名前のない香水

桐谷は何も言わず、視線を落としたままバッグに手を伸ばす。

ファスナーの音。
迷いのない動き。

中から出てきたのは、小さな救急セットだった。

「……え」

誰かが息をのむ。

桐谷はしゃがみ込み、一花の手をそっと支えた。
動きは驚くほど慣れている。

消毒。
ガーゼ。
手際よく、でも乱暴じゃない。

少し間を置いて、桐谷が言った。

「……弟が、やんちゃでさ」

ふいに落ちた低い声に、一花が顔を上げる。

桐谷は視線を合わせないまま、包帯を巻いた。

「だから、いつも持ち歩いてる」

言い訳でも、自慢でもない。ただの事実。

ざわついていた教室の空気が、少しだけ変わる。

「……用意周到すぎ」
「普通に優しくない?」

桐谷は気にする様子もなく、指先だけを見つめたまま言った。

「動かすな」

その一言が、なぜか一花を落ち着かせた。

知らなかった一面を、またひとつ知ってしまった。