名前のない香水

コースの脇、少し日陰になった場所で、
一花は座り込んでいた。

膝を抱えるようにして、
肩を小さく揺らしながら、呼吸を整えようとしている。

――やっぱり。

胸の奥が、きゅっと縮む。

「……一ノ瀬」

名前を呼ぶと、
一花はゆっくり顔を上げた。

驚いたように目を見開いて、
すぐに、困ったみたいに視線を逸らす。

「だい、じょうぶ……」

そう言いかけて、言葉が途切れる。
立ち上がろうとして、ふらついた。

その瞬間、
桐谷の視線が、彼女の足元に落ちる。

――ズボンが、汚れている。

一瞬だった。
でも、見間違いじゃない。

胸の奥で、何かが静かに繋がった。

中学生の妹。
急に体育を休んだ日。
何も言わず、ただ苦しそうにしていた背中。

(……そういうことか)

確信に近いものが、すっと落ちてくる。

一花は、まだ気づいていない。
それが、余計に胸を締めつけた。

言葉にしたら、傷つく。
問いかけたら、逃げる。

――だったら、言わない。

桐谷は、そう決めた。