名前のない香水


高校生活の最後の一年、私は最初から決めていた。
誰にも心を開かない。
期待しない。
近づかない。

――夢がいれば、それでいい。
夢は、私の唯一の親友だ。

持病があるだけで、必要以上に気を遣われたり、
あるいは腫れ物のように距離を置かれたり。

「可哀想だね。」

その一言が、どれだけ人を傷つけるか、私はもう知っていた。

教室の隅の席で、そっと息を整える。
朝から胸の奥が少し重い。
大丈夫。大丈夫。

そう何度も心の中で繰り返し、顔を上げたそのとき――

視線の先にいたのは、噂の男子だった。

無口で、いつも一人。
近寄りがたくて、クラスでは「怖い人」と囁かれている。

桐谷凰雅。

たまたま、目が合った――気がした。
慌てて視線を逸らした、その瞬間、

ふわり、と風に混じって届いた香り。

――甘い。

遠くからふわっと感じる香り。
でも、どこか優しくて、胸の奥がきゅっと締めつけられるような匂い。

「……いい香り」

小さく零れた声は、誰にも届かない。
それなのに、心臓だけが落ち着かなくて。

どうして。
ただの匂いなのに。

この香りが、
この人が、
これから私の心をこんなにも揺らすことになるなんて――

このときの私は、まだ知らなかった。