名前のない香水

スマホを握りしめたまま、俺は立ち尽くしていた。

目の前では教授が黒板に文字を走らせているが、その声はもう耳に届かない。

指先に残るスマホの微かな熱が、全身を駆け巡っている。

――会える。
本当に、一花に会えるのか。

メールには、病状のことは何一つ書かれていなかった。

けれど、この二年間一度も連絡をくれなかった彼女が「会おう」と言ってくれた。

それはきっと、彼女が病に打ち勝ち、自分の足で立ち上がったということじゃないのか。

「……っ」

胃の奥が熱くなり、喉の奥が震える。

治ったのか。
それとも、少し良くなったから連絡してくれたのか。

ぐるぐると回る思考を止めることはできず、ノートの隅には無意識に「四月」という文字を書き殴っていた。

彼女が指定した場所は、地元でも有名な広大なチューリップ畑だ。

あの日、俺が届けたかった「春の景色」が、そこにはあるはずだ。

会いたい。
今すぐにでも駆け出したい。

でも、俺は知っている。
待つことが、あいつの選んだ戦いだって

二年分の想いが、ダムが決壊したように俺の心を支配していった。