名前のない香水

膝の力が、ふっと抜けた。

壁に背を預ける余裕さえなく、
冷たいタイルの床に膝をつく。

胃の底からせり上がってくる吐き気と、
頭を殴られたような激痛。

視界が、ぐにゃりと歪む。

呼吸の仕方を忘れたように、胸が苦しくなる。

「……っ」

空気が、吸えない。

肺がうまく動かない。

――その時。

「……桐谷くん!」

遠くで、自分の名前を呼ぶ声がした。

駆け寄ってきたのは、夢だった。

「桐谷くん、しっかりして!」

肩を強く揺さぶられる。

「一花は今、戦ってるんだから!」

夢の叫びが、
ぼやけた意識を無理やり現実へと引き戻す。

彼女の瞳も、潤んでいた。

それでも——

震える声で、自分を奮い立たせるように続ける。

「一花が……最後に呼んだのは、あなたの名前なの」

一瞬、

世界の音が止まる。

「あなたがここで倒れてどうするの!」

その言葉が、

ナイフのように胸に突き刺さる。

――そうだ。

一花は、

無理をしてまで俺を呼んでくれたんだ。

震える手で床を押す。

うまく力が入らない。

それでも、

なんとか立ち上がる。

目の前の光景は、

まだ、地獄のままだ。