名前のない香水

よし……。さっきより、ずっといい」

鏡の中の自分に、言い聞かせるように呟く。

蒼白(そうはく)な頬に、指先で薄くチークを乗せた。
カサついた唇には、ほんの少しだけ色を差す。

彼に届くのが、病室の冷たい匂いだけじゃなくて、
私から香る春の気配であってほしくて。

香水代わりに、お気に入りのハンドクリームを薄く伸ばす。

あとは、彼が来るのを待つだけ。

会いたい。
でも、今の私を見られるのは怖い。

矛盾した気持ちが胸の中で渦巻いて、
指先が小さく震えた。

――その時だった。

肺を握りつぶされるような、激しい苦しみが
一気に襲いかかってきた。

「……あ、っ……」

視界が、急速に狭まっていく。

震える手でナースコールを押し、
そのままベッドに崩れ落ちた。

――嘘でしょ。

今、凰雅くんが来てくれるのに。

目尻から、堪えきれない涙が溢れて、枕を濡らす。

せっかく綺麗にしたのに。
せっかく、名前を呼べたのに。

遠くで、誰かが私の名前を叫んでいる気がした。

でも——

その声に答える力は、もう残っていなかった。