名前のない香水

一方で、桐谷は。

あの日、廊下で見た光景が、
頭から離れずにいた。

壁に手をついて、
小さく肩を揺らしていた姿。

苦しそうだった。
でも、声はかけられなかった。

――あれは、何だったんだ。

気のせいじゃない。
ただの疲れとも、思えなかった。

その答えが分からないまま、
桐谷は無意識に視線を向けてしまう。

遠くから、確かめるように。

元気そうに見える。
普通に笑っている。
何もなかったみたいに。

それでも。

見ていないと、落ち着かない。

話しかける勇気も、
踏み込む理由もないまま。

ただ、見るだけ。

それが、今の桐谷にできる、
精一杯だった。