名前のない香水


妹は続ける。

「難しく考えすぎだって。」
「素直に思ったことを送ればいいんだよ。お兄ちゃんの言葉で。」

「だったら、ちゃんと返しなよ」

妹はそう言って、
自分のコップを片付けると、
軽い足取りで階段を上がっていった。

「あ、おやすみー!」

という声が遠ざかり、
バタンとドアが閉まる。

リビングに、一人取り残された。

テレビの音だけが流れる部屋で、
桐谷はテーブルのスマホを見る。

正解なんて、知らない。

でも、沈黙は正解じゃない。

妹の言葉は、
簡単そうなのに——
どうしても、送れない。

桐谷は、深く息を吐く。

一週間分の迷いが、
指先に重く乗った。

それでも。

スマホを握る。

画面の向こうには、
まだ、空がある。

送信ボタンの上で、
指が止まる。

――今度こそ。

静かな夜に、
小さな決意が落ちた。