名前のない香水

一花は何も言わない。

でも、指先がシーツをつまむ。

少しだけ、沈黙。

夢はその沈黙を壊さない。

やがて、一花が小さく言う。

「……さっきね」

夢が顔を向ける。

一花はスマホを見つめたまま。

「連絡、来た」

それだけ。

夢は驚かない。

「うん」

一花は、少し迷ってから続ける。

「いつも、返せなかったんだけど」

少し間。

「今日は、返してみた」

指先が、スマホの縁をなぞる。

「でも……既読だけで」

笑おうとして、少し失敗する。

「返事、なくて」
夢はしばらく考えてから、言う。

「驚いてるんじゃない?」

軽い声。

「ほら、桐谷くんって、そういうところあるでしょ。」

一花は、黙ったままうなずく。

窓の外は、淡い夕方の色に変わっている。

夢は立ち上がる。

「じゃ、また来るね」

ドアの前で振り返る。

「無理しないでね。また聞くから。」

それだけ言って、出ていく。

部屋が、また静かになる。

一花はスマホを手に取る。

画面は、変わらないまま。

同じ空を見ているはずなのに、
距離は、ちゃんとある。

それでも。

指先は、少しだけ前より軽かった。