名前のない香水

桐谷くんは嘘が下手だ。

少しだけ優しすぎる目をしている。

もしかして、知ったのかな。

お母さんに、会った?

胸がひやっとする。

でも聞けない。

聞いたら、
本当に知られてしまいそうで。

知られたくない。

かわいそうって思われたくない。

普通でいたい。

「ほんとに大したことないから」

自分に言い聞かせるみたいに、もう一度言った。
桐谷くんは、少しだけ目を細める。

信じていない目。

でも、追及もしない目。

それが余計に苦しい。

私はもう、知っている。

入院が決まったこと。

来週には、ここに通うんじゃなくて、
ここで眠ることになるって。

制服もしばらく着られない。

教室の席も、
窓際の景色も、
桐谷くんの背中も。

当たり前だった全部が、
急に遠くなる。

その現実を突きつけられるみたいに、

俯いた私の鼻先を、あの甘い香りがかすめた。

――この香りを、忘れたくない。

病院の消毒液の匂いに、上書きされてしまう前に。

「……ちゃんと、休めよ」

低い声。

優しすぎる声。

それは、何も知らない人の言い方じゃない。

胸が、またひやっとする。

やっぱり。

知ってるのかもしれない。

でも、聞けない。

聞いたら、全部が本当になってしまうから。