名前のない香水

桐谷は、足を止めた。

今の、見間違いじゃない。

一花だった。

少しやつれた横顔。

目が合った瞬間、
逸らされた視線。

……なんで。

逃げるように通り過ぎた車。

追いかけようと一歩踏み出して、
でも止まる。

あの目。

あれは、嫌いになった目じゃない。

むしろ。

泣きそうだった。

「無理すんなよ」

送ったメッセージを思い出す。

既読のまま。

返事はない。

避けられてると思ってた。

けど違う。

あれは。

助けて、って目だった。

桐谷は、拳を握る。

なんで言わねぇんだよ。

頼れよ。

俺、そんな頼りないかよ。

悔しさと焦りが、胸を焼く。

車はもう見えない。

でも。

逃がさない。

一花の“声のない時間”ごと、

ちゃんと受け止める。

そう、決めた。