名前のない香水

食卓を囲む。

「いただきます」

その一言が、
こんなにあたたかいなんて。

桐谷くんは、
家族といるときは少し表情が柔らかい。

妹に軽くつっこまれ、
お母さんに「ちゃんと野菜も食べなさい」と言われ、
小さく「わかってる」と返す。

その姿を見ていると、
胸の奥がじんわりする。

——ああ。

こういう場所で、
育ってきた人なんだ。

だから——

あんなふうに、
人に優しくできるのかもしれない。

食後しばらくしてから、
外に車のライトが差し込む。

「お迎え来たみたい」

一花のお母さんだった。

玄関まで見送りに出る。

「今日はありがとう」

そう言うと、
桐谷くんのお母さんはにっこり笑う。

「またいつでもいらっしゃい」

その言葉が、
胸にあたたかく残る。

外は少し冷えていた。

車に乗る前。

桐谷くんがぽつりと言う。

「無理すんなよ」

短い言葉。

でも、ちゃんと心配してくれている。

私はうなずく。

さっきまで不安だった身体も、
もう大丈夫。

車の窓越しに見る彼は、
家の灯りを背にして立っていた。

その姿が、
なんだか少しだけ特別に見えた。

——さっきまで、
同じ場所にいたはずなのに。