神に選ばれなかった者達 前編

「…のぞみ、お兄ちゃんが時間を稼ぐから、その間に逃げるんだ」

「…えっ…!?」

暗くて狭いゴミ箱の中で、僕は囁くようにしてのぞみに告げた。

「な、何言ってるの、お兄ちゃん…」

「逃げるんだ。このままじゃ見つかる」

こうしている間にも、人面犬達は少しずつ少しずつ、こちらに近づいてきていた。

速く決断しなければ、二人共同じ運命を辿ることになる。

それだけは許さない。

「逃げるなら…逃げるなら、お兄ちゃんも一緒だよ。私だけなんて…」

「それは無理だ…。お兄ちゃんは怪我をしているし、二人で逃げたら追いつかれる」

仮に怪我をしていなかったとしても、走って逃げるのは無理だ。

さっきやったけど、駄目だった。

「だから、ここでお兄ちゃんが時間稼ぎをする。その間にのぞみだけでも…」

「駄目だよ…!お兄ちゃん、それじゃあ死んじゃう…!」

…そうだね。死んじゃうだろうね。

さっき味わったあの傷みを、再び味わうことになる。

そう思うと、僕だって臆する気持ちがない訳ではない。

痛いのは嫌だよ。耐えられないほどに。

…だけど、のぞみの痛みに比べたら、そんなものは何でもない。

「…分かってるよ」

「だ、だったら…!」

「でも、駄目。ここにいたらのぞみも死んでしまうんだよ。のぞみ、痛い思いをするのは嫌でしょう?」

「それは…」

のぞみはこの数日、何度もあの犬達に殺されてきた。

僕はまだたった3回だけど、のぞみはもう…数え切れないほど、何回も殺されてきた。

だから、もうのぞみに痛い思いはさせない。

今度は僕の番だ。

「い、いや、だよ…。痛いのは嫌…」

「そうでしょう?だから…」

「でも…お兄ちゃんが痛い思いをするのも嫌だよ…」

「…のぞみ…」

…優しいね、君は。

本当なら、すぐにでも逃げ出したいだろうに。

お兄ちゃんのこと気遣ってくれて、ありがとう。

「お兄ちゃんがここで…死ぬなら、私も一緒に…」

のぞみが言うことなら…のぞみが望むことなら…僕は何でも聞き入れる。

…だけど、今回ばかりは。

「…それは駄目」

「…!何で…」

「二人共助かる方法がないなら、それも仕方ないかもしれないけど…。今は違う。お兄ちゃんが犠牲になれば、のぞみは助かる可能性があるんだ」

なんて素晴らしいことだろう。

僕の犠牲で、のぞみを守れるなんて。

僕ごときの安い命で、かけがえのないのぞみの命を守れるなんて。

だったら、死の痛みが何だと言うのだろう。

「のぞみを守る為なら、お兄ちゃんは何度死んだって構わないよ」

「お…お兄ちゃん…」

「…さぁ、のぞみ。行くんだ」

僕は、血にまみれた鉄パイプを強く握り締めた。