狂気のサクラ

7月に入り本格的な暑さが予想されたが夜はまだ涼しく、半袖では肌寒い。
制服を返すため『有楽』を訪れた。その日は彼からシフトに入っていると聞かされていた。
玄関のドアをくぐる。店内は冷房が利きすぎて寒いくらいだ。フロントに彼の姿はない。
事務所に入ると誰も居なかった。支配人の机に制服を置き、メモを置いた。
もう一度フロントまで行くと、直正の姿が見えた。
「どうしたの?悠樹休みだけど」
他のスタッフに気付かれないよう直正は小声で言った。あれ以来、彼は私の前で直正の話はしなくなっていた。
「あ、制服返しにきただけで」
「そうなんだ」
今は直正とあまり接触しない方が良いと考え、長く話す事なくフロントから離れた。
本当はこんなこと不本意なのだか、もう一度事務所へ戻る。まだ誰も居ない。
後ろめたさを感じながら彼のタイムカードを手に取った。
直正の言う通り今日の打刻はない。今日どころかバイトだと聞いていた日でも打刻がない。
バイトだと嘘をつき、バイトが終わったと言ってその時間に私の部屋へ来ていたのだ。彼が私に『有楽』を辞めるように言ったのはそれを隠すためだったのだろうか。
やましいことがあったのだろうか。もやもやしながら帰宅した。
『バイト終わったから今から行く』
いつもの時間に彼からメッセージがきた。何のために嘘をつくのだろう。私は彼の行動を詮索したことなど一度もない。
彼を待つ間、今日『有楽』へ行ったことを言おうか迷っていた。どうして嘘をついたのだろう。嘘をついていたのは今日だけではない。彼を疑う気持ちが湧いてくる。