side:茜
お父さんのひとことで、部屋の空気が一瞬ピタッと止まった。
「じゃあ、夏休みを使って……イギリスに行こうか!」
「「……えっ!?」」
咲姉と私は同時に固まった。
今、なんて言った?
イギリスに行く!?
母も驚いた顔をしていたけど、すぐに苦笑いして言った。
「また急ねぇ……。でも、いいかもね」
「おお、賛成?」
「だって、娘たちがまだ“姉”に会ったことないなんて、変な話でしょう? このまま大人になる前に、ちゃんと顔合わせさせてあげたいわ」
確かに。
言われてみれば、私は“姉”がいるのに、その存在すら知らずに生きてきたわけで。
咲姉はもう、ノリノリになっている。
「そういえば聞いてなかったけど、どうして伊代さんだけイギリスに住んでるの?」
お姉ちゃんがきょとんとした顔で聞いてきた。
するとお父さんが少し照れくさそうに説明を始める。
「実は、伊代は生まれてすぐ、うちの祖父母——君たちのおじいちゃん・おばあちゃんに預けたんだ」
「えっ?」
「当時、母さんが産後の体調を崩しやすくてね。僕も仕事が忙しくてバタバタしてたし。
そしたらおじいちゃんとおばあちゃんが“イギリス式の教育を取り入れて国際的に育てたい”って言ってくれてね。
最初はちょっとの間だけのつもりだったんだけど、環境も良かったっていうので、結果的にそのまま正式に養子縁組したんだよ」
お母さんも説明をつけ足す。
「だから今は、“伊代・ステラ・スチュアート”って名前で、イギリスで暮らしてるの。ステラって呼ばれてるのよ」
「へぇ……!」
私と咲姉は顔を見合わせて、感心したようにうなずいた。
「だから、学校もインターナショナルスクールだし、日本語も話せるけど、普段は英語のほうが得意なの。電話やメールはたまにしてるけど、実際に会うのは……あなたたち、初めてよね」
「……なるほど。だから名前も顔も知らなかったんだ」
お父さんは少し遠くを見るような目で、ぽつりとつぶやいた。
「ずっと前から、会わせたかったんだ。どんな顔か、どんな声か……想像するたびに、胸が痛くて。」
そして声を落として、言った。
「祖父母にとっても、伊代は特別だろうし――でも、あの子だって、寂しかったはずだ。」
「そうだったんだ……」
私はちょっと寂しい気持ちになった。
「ねえ、伊代さんってどんな子なの?」
お母さんがニコニコしながら答えた。
「明るくて、おしゃべりで、誰とでもすぐに仲良くなれる子よ」
「えー、意外!葵兄とは全然違うんだ」
「そうね、二人は正反対よ」
その時、葵がぽつりと言った。
「……昔はすごく仲良かったんだ、俺たち」
その言葉に、私はドキッとした。
「昔は?」
葵は少し照れくさそうに笑いながら続けた。
「子どもの頃は、一緒に遊んだり、秘密を話したりしてたんだ。今は遠く離れててなかなか会えないけど」
咲姉が突然立ち上がって叫んだ。
「パスポート!パスポートいるよね!?私持ってたっけ!?あれ!?有効期限って何年!?」
「え? パスポートって……学生証みたいなやつ?」
「違うわよ……やっぱり持ってないのね。急いで申請しないと!」
母はカレンダーを見ながら、スケジュールを組み立てている。
「来週中に手続きして、そのあと航空券の手配ね……あ、英会話も少し練習しておこうかしら」
その横で、葵兄はスマホをいじりながら、ぼそっとつぶやく。
「……向こうの時差、8時間か……」
なんか、やけに冷静。こういうところが兄弟なのに全然似てないって思う。
でも正直、私も内心めっちゃワクワクしてる。
夏休みの予定なんて、学校の課題とプールくらいしかなかったのに、いきなり海外旅行が追加されるとか、展開がドラマすぎる!
お父さんがリビングの電話機を手に取って、ボタンを押し始めた。
「え、今かけるの!?」
「そりゃそうだろ。行くって決めたら、すぐ連絡しないと。向こうにも予定ってものがあるんだから」
* * *
プルルル……プルルル……
しばらくコール音が鳴って——
『Hello?(はい)』
あっ、英語だ!
おばあちゃんの声が電話口から聞こえてくる。
「Hello, Mom?(もしもし、母さん?)」
『Takuya!? Oh my! It’s been so long!(拓也!? まぁ!久しぶりね!)』
——完全に英語モード。
電話の向こうでは、すっごくテンションが高いみたい。
父「えっと……今、夏休みでさ。子どもたちを連れて、そっちに行こうと思って」
『Really!? That’s wonderful! (本当に?嬉しいわ!)
Stella will be so happy!(ステラも大喜びよ)』
“Stella”——
それが伊代さんのイギリスでの名前なんだ。
咲と私は、電話の内容に聞き耳を立てながら、お互い目配せした。
(ステラって、かっこよすぎん?)
(ハーフの姉ってだけで、すでに漫画のヒロインみたいじゃん)
父「……咲と茜は、伊代には会ったことないからさ。今回が初めてになる」
『ふふ、そうなのね。グランパも楽しみにしてるわ』
グランパって、きっとおじいちゃんのことだよね。
そういえば、日本語はあまり話せないって言ってたっけ。
電話の最後、おばあちゃんが言った。
『じゃあ、予定が決まったらまた連絡してちょうだいね』
「OK。またメールするよ」
ツー、ツー……
電話が切れると、咲が不満そうに口をとがらせた。
「なんで伊代さんに代わってもらわなかったの〜!声、聞きたかった!」
お母さんがフォローするように笑った。
「こう見えてお父さん、人一倍繊細なのよ。
“もし忘れられてたらどうしよう”とか考えちゃうタイプ」
「……うわ〜、わかるかも」
私はちょっと想像して、妙に納得しちゃった。
そんなふうにして、私たち家族の夏休みは——
ロンドン行きという、予想外の大冒険に向けて動き出したのでした。
お父さんのひとことで、部屋の空気が一瞬ピタッと止まった。
「じゃあ、夏休みを使って……イギリスに行こうか!」
「「……えっ!?」」
咲姉と私は同時に固まった。
今、なんて言った?
イギリスに行く!?
母も驚いた顔をしていたけど、すぐに苦笑いして言った。
「また急ねぇ……。でも、いいかもね」
「おお、賛成?」
「だって、娘たちがまだ“姉”に会ったことないなんて、変な話でしょう? このまま大人になる前に、ちゃんと顔合わせさせてあげたいわ」
確かに。
言われてみれば、私は“姉”がいるのに、その存在すら知らずに生きてきたわけで。
咲姉はもう、ノリノリになっている。
「そういえば聞いてなかったけど、どうして伊代さんだけイギリスに住んでるの?」
お姉ちゃんがきょとんとした顔で聞いてきた。
するとお父さんが少し照れくさそうに説明を始める。
「実は、伊代は生まれてすぐ、うちの祖父母——君たちのおじいちゃん・おばあちゃんに預けたんだ」
「えっ?」
「当時、母さんが産後の体調を崩しやすくてね。僕も仕事が忙しくてバタバタしてたし。
そしたらおじいちゃんとおばあちゃんが“イギリス式の教育を取り入れて国際的に育てたい”って言ってくれてね。
最初はちょっとの間だけのつもりだったんだけど、環境も良かったっていうので、結果的にそのまま正式に養子縁組したんだよ」
お母さんも説明をつけ足す。
「だから今は、“伊代・ステラ・スチュアート”って名前で、イギリスで暮らしてるの。ステラって呼ばれてるのよ」
「へぇ……!」
私と咲姉は顔を見合わせて、感心したようにうなずいた。
「だから、学校もインターナショナルスクールだし、日本語も話せるけど、普段は英語のほうが得意なの。電話やメールはたまにしてるけど、実際に会うのは……あなたたち、初めてよね」
「……なるほど。だから名前も顔も知らなかったんだ」
お父さんは少し遠くを見るような目で、ぽつりとつぶやいた。
「ずっと前から、会わせたかったんだ。どんな顔か、どんな声か……想像するたびに、胸が痛くて。」
そして声を落として、言った。
「祖父母にとっても、伊代は特別だろうし――でも、あの子だって、寂しかったはずだ。」
「そうだったんだ……」
私はちょっと寂しい気持ちになった。
「ねえ、伊代さんってどんな子なの?」
お母さんがニコニコしながら答えた。
「明るくて、おしゃべりで、誰とでもすぐに仲良くなれる子よ」
「えー、意外!葵兄とは全然違うんだ」
「そうね、二人は正反対よ」
その時、葵がぽつりと言った。
「……昔はすごく仲良かったんだ、俺たち」
その言葉に、私はドキッとした。
「昔は?」
葵は少し照れくさそうに笑いながら続けた。
「子どもの頃は、一緒に遊んだり、秘密を話したりしてたんだ。今は遠く離れててなかなか会えないけど」
咲姉が突然立ち上がって叫んだ。
「パスポート!パスポートいるよね!?私持ってたっけ!?あれ!?有効期限って何年!?」
「え? パスポートって……学生証みたいなやつ?」
「違うわよ……やっぱり持ってないのね。急いで申請しないと!」
母はカレンダーを見ながら、スケジュールを組み立てている。
「来週中に手続きして、そのあと航空券の手配ね……あ、英会話も少し練習しておこうかしら」
その横で、葵兄はスマホをいじりながら、ぼそっとつぶやく。
「……向こうの時差、8時間か……」
なんか、やけに冷静。こういうところが兄弟なのに全然似てないって思う。
でも正直、私も内心めっちゃワクワクしてる。
夏休みの予定なんて、学校の課題とプールくらいしかなかったのに、いきなり海外旅行が追加されるとか、展開がドラマすぎる!
お父さんがリビングの電話機を手に取って、ボタンを押し始めた。
「え、今かけるの!?」
「そりゃそうだろ。行くって決めたら、すぐ連絡しないと。向こうにも予定ってものがあるんだから」
* * *
プルルル……プルルル……
しばらくコール音が鳴って——
『Hello?(はい)』
あっ、英語だ!
おばあちゃんの声が電話口から聞こえてくる。
「Hello, Mom?(もしもし、母さん?)」
『Takuya!? Oh my! It’s been so long!(拓也!? まぁ!久しぶりね!)』
——完全に英語モード。
電話の向こうでは、すっごくテンションが高いみたい。
父「えっと……今、夏休みでさ。子どもたちを連れて、そっちに行こうと思って」
『Really!? That’s wonderful! (本当に?嬉しいわ!)
Stella will be so happy!(ステラも大喜びよ)』
“Stella”——
それが伊代さんのイギリスでの名前なんだ。
咲と私は、電話の内容に聞き耳を立てながら、お互い目配せした。
(ステラって、かっこよすぎん?)
(ハーフの姉ってだけで、すでに漫画のヒロインみたいじゃん)
父「……咲と茜は、伊代には会ったことないからさ。今回が初めてになる」
『ふふ、そうなのね。グランパも楽しみにしてるわ』
グランパって、きっとおじいちゃんのことだよね。
そういえば、日本語はあまり話せないって言ってたっけ。
電話の最後、おばあちゃんが言った。
『じゃあ、予定が決まったらまた連絡してちょうだいね』
「OK。またメールするよ」
ツー、ツー……
電話が切れると、咲が不満そうに口をとがらせた。
「なんで伊代さんに代わってもらわなかったの〜!声、聞きたかった!」
お母さんがフォローするように笑った。
「こう見えてお父さん、人一倍繊細なのよ。
“もし忘れられてたらどうしよう”とか考えちゃうタイプ」
「……うわ〜、わかるかも」
私はちょっと想像して、妙に納得しちゃった。
そんなふうにして、私たち家族の夏休みは——
ロンドン行きという、予想外の大冒険に向けて動き出したのでした。



