すると、遠くからいつもの老人の執事がよろめきながら歩いてくるのが見えた。

 何故か壁に手をつきながらだったがあまり疑問に思わず、ホッと胸をなでおろして老人に近づく。

「ちょうど良かった。いったい何の騒ぎ……っ!!」

 足が止まり、あまりの驚きに声が出なくなった。

 近くから見た老人は腹に深い傷を負っていた。体中を鮮血で真っ赤に染めている。

 呆然と見つめた後、ハッと気が付いて慌てて老人に駆け寄った。

「どうしたの?!いったい何が『お静かに!』

 凜の言葉を老人が押し殺した声で遮る。反射的に黙り込んだ。

 老人は壁をつたってずるずると座り込み、凜も老人の前にしゃがむ。

「ここには…まだ…“ヤツ”が…来て…いません…」

「奴…?」

「凜、様…早く…早く、お逃げ下さいっ…」

 老人は息も絶え絶えに、それでも力強く凜に言った。

 眉根を寄せながら凜は続きを待ったが老人は何も言わない。

 いつまで待っても反応が無いので、心配になってきた凜は老人の肩を揺すりながら呼びかけてみる。

「ちょっと、どういう事?!…ねぇ?…ねぇ!!答えてよ!!」

 老人の反応は無い。ピクリとも動かない。

 その後、何度呼びかけてみても老人からの返事は聞けなかった。

 急速に冷たくなっていく老人の身体。凜の身体も硬直する。

 背筋に寒気が走った。

 嫌な“予感”にではなく“現実”に。

 数十秒後、脳でやっと老人の『死』を理解する。

 途端に足が震えだしてきた。足だけではない。身体全体が震えだす。

 その場にへたり込むのを我慢するのがやっとだった。

 不意に硬直が解けると、「あ…あ…」と口から小さく喘ぎ声が漏れる。

 両手が無意識に上がって、頬につき、更に上がって髪を握り締めた。

 嫌々をするように首が横に振られ

(いやーーーーーーーーーーーーーっ!!!!)

 心の中での絶叫。あまりの悲惨な出来事に声が出なかったのだ。


 ―――嘘でしょ?嘘よ…寝てるだけでしょ?…ねぇ…お願い、起きてよ!!