(……っ)
「もー、先輩。今更隠れても無駄ですって。さっきからずーっと、可愛いお顔見えてました。諦めて、出てきてください」
今更引っ込んでも遅い。
分かっていても、足が竦んで動けない――いや。
(……っ、もう、こうなったら会議の準備後回し……! )
いったん執務室に戻ってしまえば、人がたくさんいる。
さすがに、そこでどうこうはされない……はず……!!
「あー、そうなっちゃったんですか。逃げたって、先延ばしになるだけなのに……でも、そうはさせません。ほーら、捕まえた」
「……は、離して……! 」
くるっと背を向けて走り出そうとする背中を――じゃない、腰を簡単に捕まえて、ぐっと抱き寄せられた。
(い、いつの間に……。そ、それより、この状況は……!! )
いつの間に、背後にいたんだろう。
角の突き当り、会議室へとどんどん追い込まれて、あっという間に抱き竦められてしまった。
「しーっ。このままネタばらししてもいいんだけど、依花先輩とは、もっとゆっくりお話ししたいと思ってたんです。先輩、会議の準備でしょう? 手伝います」
「いっ、いいよ!! 別に一人でできるし、第一何も知りたくないから」
ネタバレなんて、どうでもいい。
だからどうか、これ以上私を巻き込まないでください。
「へーえ。そんなこと言うんですね。仕方ないな、もう。……はい、こっち向いて。暴れるとキスしちゃいますよ。あ、うん。いい感じ……っと」
パシャリ。
私を押さえながら器用にもう片方の手でスマホを取り出したと思うと、カメラアプリのシャッター音が廊下に響く。
「うんうん。どう見てもお仕事中に悪いことしてる、バカップルって感じ。……ねえ、先輩。言うこと聞いてくれないと、これ、うっかり流出しちゃうかも」
「……な、何それ……。そんなメリットもないこと、なんで自分でするの……」
「やだな。メリット大アリですよ。俺、ずーっと先輩のこと口説いてるじゃないですか。見向きもしてくれなくて悲しかったけど、これで先輩が手に入る」
嘘だ。
彼のあれは、どう見ても本気じゃなかった。
だから相手にしなかったし、できるだけ関わらないようにしてきた。
それを脅迫までして付き合いたいなんて、そんなこと絶対にあり得ない。
「大丈夫ですよ。悪いようにはしませんから」
「……それって、どう見ても悪役の台詞なんだけど」
(……怯むな)
私だって、大人だ。
経験なんてほとんどないけど、こんなあからさまに騙そうとしている悪意ある口説かれ方でドキドキなんてしない。
「ひっどい反応。前から思ってたんですけど、どうしてそんなに俺を毛嫌いするんですか? そんなに嫌わなくても……最初は別に好きじゃなくても、可愛い後輩に言い寄られて、悪い気はしないと思うのに」
「……騙してやろうって本音、隠せてないからじゃない? 私の反応だって酷いかもしれないけど、桐野くんだって、とても好きな人を見る目、してないよ。本当は別に好かれてないの、すぐに分かる。だから、関わりたくなかっただけ」
「……ふーん。案外、しっかりしてるんだね。そろそろ頃合いだったのかもしれないです」
やっぱり、馬鹿にされてた。
何だか知らないけど勝手に見くびられて、嘲られてた。
「これが流出するか、今、ここに誰かが来るか。そうじゃなくても、さっきの奴が喚き散らすでしょう。どっちにしても、先輩は俺と付き合うしかないんですよね。でも、今なら選ばせてあげる」
――偽装彼女になるか、本当に俺とそんな関係になるか、どっちがいいの。ねぇ、先輩……?



