そんなこんながあったことなんて、周りの人たちが知る由もなく。
最近の陰口と言えば、「王子様に見初められて、出世するのかな。すごいシンデレラストーリーだよね」……のようなものが定番化しつつある。
(……出世、すると思えないけどな……)
何しろ、桐野・兄との仲は悪い。
「え? 兄貴は依花さんのこと気に入ってるじゃない。仲は悪くないと思うし、妬けるんだけど」
……なんて、亜貴くんは意味不明なことを言うけど。
「それに、依花さんはカボチャの馬車に乗ってまで来てくれないよね。こっちが攫いに行かなきゃ」
まあ、そういう柄じゃないことは認める。
でも、噂よりもずっと気になるのは。
(……いつ、本社に行っちゃうのかな……)
止めるつもりも、止められるものでもないけど、寂しいのはどうしようもない。
四六時中彼氏と一緒のこの状況の方が、特殊なんだとしても。
その幸せが、すっかり私の日常になってしまっていた。
(……しっかりしないと)
プライベートで会えばいいだけなんだから。
当たり前だけど、今だって社内で甘い雰囲気になるわけじゃない。
そんな当然の、これ以上ないくらいの正当な理由があるのに、どうしていつまでも気分が晴れないんだろう。
・・・
とはいえ、私から異動の話をするのは憚られた。
虚しく思いながらレールを歩いてきたような台詞はこれまでにもあったし、亜貴くん自身まだ悩んでいるのかもしれない。
(せっかく、デートの後のお泊まりなんだし)
暗い気分にさせたくないし、なりたくない。
「……あ、そうだ」
「……えっ? 」
考えごとをしていたのがバレたのかと、ギクリとする。
(やましいことじゃないのに)
不安だからだろうか。
不安に思ってることを知られたくないからだろうか。
かなり分かりやすくビクッとしてしまったと思うけど、亜貴くんは家のドアを開ける寸前に振り向いて、にこっと笑った。
「依花さんの好きそうな入浴剤、買っといたよ。何か可愛いやつ。今日こそ、一緒に入ってくれる気になってくれるかなーって」
「……あ、ありがと。い、一緒……」
(後ろ向いてたから、気づかなかったのかな)
「だめ……? ま、入るまでに気が向いたらでいいよ。でも、いつかそんな気分になってくれたら嬉しい」
「……う。そ、その。勇気が出たら」
「ん。了解」
甘く強請ったわりに、あっさりと引かれた――なんて、何を考えてるんだろう。
もしかしたら、私の元気がないと勘違いして、わざとそんなことを言ったのかもしれない……。
「……っ」
バンッ。
前にいた亜貴くんが、開けたばかりのドアを叩きつけるように閉めた。
「……ど、どうしたの? 」
亜貴くんが、そんなふうに物を乱暴に扱うのは珍しい。
さっきまでとは打って変わって、今度は明らかに亜貴くんの方が動揺している。
「……ごめん。今日は、依花さんのところの方がいいかも。いや、もうこんな時間か。……待ってて、ちょっと追い出してくる。……いやでも、どっちにしても手遅れ……」
「…………えっと。私、外そうか……? 」
つまり、部屋に予定してない訪問客がいる。
そして、ドアを思わず閉めたってことは、私に見られたくないってことで。
(……もしかして、修羅場……? )
わりと冷静に予想できたのは、珍しく亜貴くんがテンパっているから。
いつも穏やかで余裕のある彼がこうなるなんて、余程の人なんだなと思うと胸がチクリとする。
「……っ、違うから。浮気でも元カノでもない。あれは……」
「あっくん、お帰りー! もう、なんで入ってこないの? 」
亜貴くんの説明を遮って、部屋から出てきたのは。
(……な……)
――下着姿の美女。
(……帰らなきゃ。ここは怒ってもいいところ)
下着だけの女性が家にいて、浮気でも何でもないってどういうこと。
そう思うのに、強烈すぎて何も反応できない。
「……服着ろよ。なんで人の家で脱いでるわけ? 」
「お風呂入ってたから。近くで呑んでて、さっちゃんのとこより近かったんだもん。あ、バスボム使ったよ。なんであんなのあるの? 家に呼ぶような子いないでしょ。いても、準備なんてしてあげないくせに」
「彼女と使う気だったに決まってるだろ……! ……あーもう、いいから服着て。紹介する」
そんな、元カノ――と信じたい――に紹介されても困る。
(逃げよう。逃げていい、私)
「待った。誤解一分で解くから。お願い、聞いて」
くるりと背を向けた私を捕まえて、私の両肩をそっと包む。
「この非常識なの、俺の姉。ごめん、変な家で」



