このキスを、あとどれくらい続けていいのか。
きっと、お互い迷って悩んだんだと思う。
考えすぎて重たくしたくないけど、熱でぼんやりしたまま進んでいいのか判断できない――そんな時に食事が届いて、笑ってしまった。
「約束、破るとこでした」
「敬語、やめたんじゃなかったの」
「依花さんだって、まだ名前呼んでくれてないよ」
私の為だって分かってる。
その私は、桐野くんならいいと思えた。
正直に言うなら、残念だとすら思う。
「ありがと」
でも、その優しさがすごく、愛しかった。
「……あき、くん……」
頰を寄せた背中が、少し強張った気がした。
待ってくれたのに引き留めたようで、苛立ったのかもしれない。
「キスして、はあんなにはっきり言うくせに……俺の名前なんかで、どもらないでよ。配達、待たせてるんですけど。放置して、ソファに戻りたくなるでしょう。一回戻ったら、もういくらピンポン押されても聞こえる気しない……どうする? 」
「……ど、どうするじゃない。迷惑だし申し訳ないから、私出るね」
「いいよ。そんな真っ赤になってるとこ、誰にも見せたくないし。選択肢ないなら、誘惑しないでください。もう……」
(……真っ赤じゃないし。後ろ向いてるのに、分かるわけないのに)
思わず自分の両頬に触れて、すぐにパッと離した。
ものすごく熱くて、何だか癪だったから。
・・・
「まあ、俺のこれまでなんて、つまらないけど。親の仕事を周りが理解できるようになる頃には、変態扱いだったからね。それを黙らせようってなると、ある程度のことは上手くやれた。高校生くらいになると、そんなことではからかわれなくなったし。でも、兄貴とは年が離れてるから、競うなんて思いつきもしなかったな。これでよかったと思う。張り合ってたら、もっと辛かったはずだから」
子どもは残酷だ。
何てことないみたいに桐野くんはそう振り返るけど、私の想像よりもずっと辛かったはず。
「実際、両親とも仕事熱心で。商品について俺たちの前で話し合うなんてしょっちゅうだったから、もうね。成長する頃には慣れてたし、いくら男の思春期でも、見ても興奮するどころか気まずいとも思えなくなってて。依花さんが会ったら気が合うだろうけど、意見求められて大変かも」
お酒と料理を楽しみながら、本当に軽い調子で教えてくれるけど、わざわざ思い出したくないだろうに。
「でも、依花さんに会って、あんな形だったけど、会社だけじゃ見られないとこ見れて……最近、なんか気持ちが忙しかったな。落ち込んだりイライラしたり、どうしようもなく嬉しくなったり。佐野はともかく、兄貴に一瞬でも殺意が湧いたの、初めてだった」
止めようとした私に首を振って見せてくれた笑顔は、言葉とはまるで違って爽やかだ。
(過去を振り返って、そんな顔ができるようになるまで、すごく苦しかっただろうな……)
そして、いくら薄まって和らいでも、きっと完全には消えてくれないものなんだろう。
「兄貴はね、あれでいい兄さんだよ。実際には、何も誰も奪われたことなんかなくて…… “彼女はやめとけ” って言われたら、そのとおりにやめた。疑ったのは初めての一度だけ。……全部、正しかったと思う。でも、確かめる気になれなかったのは、それでもいいやって思えたから」
「……ごめん。私はまだ、お兄さんのこと好きになれないけど。亜貴くんのことを大切に思ってるのは伝わってる」
理解はできる。
でも、納得はいかない。
兄弟のことに私が口を出すのもどうかと思うけど、たとえ嘘でも弟に対してあんなことが言えるなんて。
「それも嬉しいけどね。あの顔面を前にして、あんな変な顔できるの依花さんくらいだよ。……っ、はは。思い出したら、可愛くて笑い止まらない」
「……可愛いで笑いが止まらなくなるのも、亜貴くんくらいだと思う。あと、変が可愛いになる亜貴くんの方が変だから」
私の反応が一般的ではないのは認める。
でも、好みなんて人それぞれで、亜貴くんが自分で思ってる以上に格好いいんだけどな。
『兄貴と競うなんて……』
桐野 亜貴が胡散臭かったのは、それが理由なのかもしれない。
自信満々で、自分のルックスを理解して利用してる――それが、嘘だったから。
「そうかな。だったらいいけど、違うと思う。俺、特に好みとかないと思ってたけど、めちゃくちゃ普通だった。あー、困った」
「こ、困らない。気のせい……」
困ってるのは、こっちだ。
私は、桐野 亜貴のこの顔に弱い。
その好きだって顔をされると、私ももう彼を好きで仕方ないのだと強制的に自覚させられる。
しかも、それが嫌じゃないから、また頬が熱を帯び始めて、ひとまず食事に集中した。



