「いらっしゃるなら、事前に仰っていただければ……」
「いや。プライベートなことだから、出迎えられても困る。君たちも業務に戻っていいよ」
外に出ると、偉そうな人たちのへりくだった声が廊下に響き渡っている。
「そ、そう言われましても。それにプライベートとは……」
「だから、私用だ。あいつの方から来てくれたらいいんだが……」
「来たよ」
このまま進めば、お偉い集団と鉢合わせする……と足が止まった矢先、桐野くんの方がスタスタと先に行ってしまった。
「何だね、君は。業務に戻りなさい」
今別の声で聞いたばかりのことを繰り返された桐野くんは、どこ吹く風でにこりと笑った。
「この人が用があるの、僕なので。どうぞ、お気遣いなく戻ってください」
「な……失礼なことを。無知にも程があるぞ。この方は……」
「あれ、おかしいな。よく知ってるはずなんですけどね。この人、僕の兄なので」
(な……兄!? 桐野くんのお兄さんって、確か)
――この会社の、次期社長、だったような。
「何が、 “おかしいな” だ。さすがのお前でも、兄を見間違うわけないだろ」
「えー、だって。やけに自信満々に言われたから、兄貴、顔変わっちゃったかなって不安になっちゃって。久しぶりに会うしさ」
「成長期でもあるまいし、そんな短期間で外見が変わるか。……そんなことより」
慌てふためく重役たちをよそに、兄弟の暢気な会話が続くのをぼーっと見守っていたところに、急に視線がこちらを向いて背筋を伸ばした。
「いつになく、元気そうだ。つまり、この方が例の……」
「……俺の、大切な人だから。怖がらせないでね」
値踏みされるかなとか、あまりいい印象は持たれないかもしれないなとヒヤリとしたけど、それよりもお兄さんの目は弟である桐野くんへと既に向いている。
「そうか。面倒くさがりの亜貴が、身分明かして揉め事まで起こして、ね。めでたいな。亜貴が本気で恋愛していると言ったら、親父は公休日にでもしたがるんじゃないか」
「……いつを? 人のプライベート、会社の公休日にして祝われても困る。それより、急に大事にしないで。まだほぼ片想いで、無理やり付き合ってもらったに近いんだから」
「……私は、ちゃんと付き合ってる認識です。そ、そりゃ、なんかめちゃくちゃだったし、付き合ったばかりだけど、でも……」
兄弟のじゃれ合いだ。
口を挟むべきじゃないとは思ったけど、「片想い」という単語も、「付き合ってもらってる」もスルーできなかった。
「……依花さん」
「違ったらごめ……」
「違わないよ。ごめん。めちゃくちゃな始まりで。でも、これからはあんな思いさせない。……ありがとう」
何かを窺うように、桐野くんが私の目を覗き込んだ。
恥ずかしいけど、ここは目を逸らしちゃいけないと思って見つめ返すと、ふと微笑んで指先を繋がれた。
手に触れていいか、まだ許可を取ろうとしてくれてるんだ。
嬉しいけど、少しくすぐったくて、結構切ない。
桐野くんなら大丈夫って伝え続けたら、いつか自然に繋げるようになるだろうか。
「とにかく、わざわざ来てもらってごめん。名前出したのは、これからはその方が都合いいと判断したから」
「面倒よりも付加価値の方が大きくなったか? 」
「利用させてもらう以上は、それなりのことはするよ
」
嫌だったんじゃないのかな。
いつかは発表しなくてはいけないことだったとしても、あんなことがきっかけだなんて申し訳ない。
「どうせ、いつかはやらなきゃいけなかったことなんです。それを俺が、今更、王子様になりたくなった。それだけだから」
私はとても、王子様に釣り合うようにはなれない。
でも、桐野くんがそう決めたのなら、私も同じだけの覚悟が要る。



