Secret mode〜後輩くんの見てはいけないトコロを見てしまいました〜




声がちっとも出てくれない。
掠れるどころか、まったく、何も。


「……今日は帰りますね。返事、まだ貰いたくなくて。狡いですけど、もう少し頑張らせてほしくて。依花さんが嫌なことは、もう二度としないから。だから、もう少しだけ……許してね」

でも、私の手は。


「……え、先ぱ……」


ちゃんと動く。
それに、結構素早くて笑ってしまった。
桐野くんが立ち上がるよりも早く、袖口を摘めてしまうなんて。


「……あのね。熱のせいで私、ペラペラ喋って……もしかしたら、それが美談めいたかもしれないけど。全然そんなことなくて。私、そんなに綺麗にできてないよ。これ以上近づくなら、話さないといけないこと、たくさんある」

「……あの話を聞いて、好きになったわけじゃありません。すごいなって……自分との差に打ちのめされはしたけど。それに、もし……もし、俺と付き合ってくれるなら、事前に話すことがあるのは俺の方です」


もう一度腰を下ろして、名残惜しそうに私の手を見つめて――少し迷って、ううん。
私の反応を確かめてから、ゆっくりと指先を絡めた。


「俺があの会社にいる理由。大した志望動機じゃないって言いましたけど、あれは本当で……ちょっと嘘なんです。……兄が次期社長だから、俺は社会勉強兼ねて修業中っていうか。つまり、親の会社だからってだけ」

「……え!? ……そ、そうだったんだ」


もちろん、びっくりした。
でも、何だか「あ、そうなんだ」くらいには、しっくりくるものがある。


(なぜそこで、桐野くんの方がびっくりしてるの……)


「……依花さん、人を信じすぎじゃないですか。変な詐欺とか怪しい勧誘とか、引っ掛からないでくださいよ」

「そんなの、引っ掛からないよ……! ……今の桐野くんが、嘘を言ってるようには見えなかっただけ」


私だって、そこまでのお人好しでも世間知らずでもない。
これをたとえば佐野さんが言ったとしたら、申し訳ないというか当然のように信じないと思う。


「どうにでもなるって、そういうことだったんだ」

「そう。大体、あんなのその場でクビにしてもいいくらいだし」


わんこの着ぐるみのなかには、王子様がいた。
ただし、俺様でも何でもなく、本当は優しくて甘くて、なにかを大切にできる人だ。


「……そっちの方が……」

「え? 」


自分勝手な感想が、会話と何の脈略もなく口を突いて慌てて噤んだ。


「ううん。私はね……私も。桐野くんは女嫌いって言ったけど、私もそうかもしれない。男の人が苦手。かと言って、女性だから上手くやれるってことはないから、元々人付き合いが下手なのかも。でも、怪我をしてから、もっと苦手になった」

「……怪我の原因って……もしか、して……」


声が掠れたのも、指先が震えたのも桐野くんだった。


「未遂だったけどね。お互い初めてでよく分からないままそうなろうとして、直前に怖くなってやめたがったからイラッとしたんだと思う。その時の彼氏も、乱暴しようとしたつもりはなかったんだろうけど……傷めて。好き……だったんだけどね」

「……未遂なんて言わない。襲われたんだよ、あなたは。付き合ってるからって、何してもいいわけじゃない。好きって、免罪符じゃないんだ……っ、ごめん……俺、本当に最低……」


(……初めて、誰かに言ったな)


かなりスッキリして、ちょっと楽になった。
その為に傷つけてしまったのは申し訳ないけれど、ここを隠してはおけなかった。


「桐野くんは違う。それを私が、知ろうとしなかった」

「当たり前だよ。見せてなかったんだから。……っ、どうして」


触れてはいけないと離れていこうとする手を、引き留めたのは私。
それならもう、さっきの続きを言うしかなかった。


「今見てる桐野くんの方が好き。……さっき、そう言いかけた」


――進んでみよう。

そう、また思えたから。