「……手は、何ともない? 」
「だ、大丈……。本当に大丈夫」
言い淀んたけど、桐野くんはわざわざ「手は」と言った。
だから、この答えで合っていると思って続けたけれど。
「だ……」
さすがに、自分の上着を掛けてくれるのは遠慮するほかなかったのに、桐野くんは許してくれなかった。
「……ごめん。俺が大丈夫じゃない。お願いだから、着てて。席に戻るまででいいから。で、帰る準備して」
「そんな、これくらいで……」
「ダメだよ。また熱出たらどうするの。後は俺がやっとくから、お願い。諸々終わったら、そっちに行くから」
優しいけれど有無を言わさぬ口調に、今は抵抗する気になれない。
黙って頷くと、心底ほっとしたような「ありがとう」も、これまで聞いたどんな甘い言葉よりも甘く聞こえた。
大人しく上着を借りるくらい、盛大な勘違いでしかない声の甘さに黙り込んでしまうくらい。
――私は、そんなに弱気になっているのかな。
・・・
『俺。桐野 亜貴。……開けてくれる? 』
マンションのインターホンで、フルネームを言ってくれてクスッとしたのに。
至極真面目で、緊張した声で尋ねられてそれ以上笑えなかった。
「ありがとう。具合、悪くなってないですか」
部屋の前でもお礼を言われて、首を振るしかできなかったけれど。
「……っ、あ……」
「……えっと。よかったら……」
呼吸が上手くできないみたいに苦しそうに喘がれると、気がついたら自分から桐野くんを部屋に入れていた。
「……っ、りがとう、ございます……」
「さっきから、お礼ばかりだね。私が……」
――私の方が、お礼を言うべきなのに。
「今頃お行儀よくして、意味分からないですよね。でも、だって……俺、本当の彼氏じゃないから」
「それも今更でした」そう笑った顔も、何だか元気がない。
「あの後、何かあったの? 私の為に早退したりして、怒られなかった? あんまり無茶したら……」
「それは、どうにでもなるんで大丈夫です。あ、これ。ケーキ、好き……? 嫌いじゃないですか」
お土産まで買ってくれるとか。
(一体、何が……。余程酷いこと言われたとか。されたとか……怪我はしてないみたいだけど)
「好きだよ。わざわざ、ありがとう。桐野くんは
コーヒーで……」
何てない会話なのに、その先が言えなかった。
だって、今の桐野くんの表情は、とてもただケーキのお礼を言われただけとは思えないほど、嬉しそうで。
「よかった。先輩の好み、全然知らなくて。とりあえず、人気そうなところの買うしかなくて……何か嫌だった」
「気にしないで……買ってくれただけで嬉しいし。本当に、ケーキ好きだし。その」
「……ありがと。俺もコーヒー好きです。いただきます」
その笑顔を見ると、「気にしなくてよかったのに」は、とても言えなかった。
でも、それもバレたんだと思う。
桐野くんはしどろもどろの私にそう引き取ってくれて、私がいつも飲んでるコーヒーを「美味しい」と言った。
多分、嘘でお世辞だと思う。
分からないのは、どうしてそんな気を遣ってくれたのかということだ。



