(……疲れた)
この状況、いつまで続くんだろう。
桐野 亜貴の気が済むまで? 飽きるまで?
考えても仕方がないことが頭から消えず、とりあえず奴が来ることはない女子トイレでぼんやりしてしまう。
考えても仕方がない――本当にそうだろうか。
考えないようにしてるだけでは?
だとしたら、一体どうして――……。
「……っ」
鏡の前に、びっくりした間抜け顔の自分がいる。
「あっ、すみませーん! かかっちゃいました? 」
「…………そうですね」
見れば分かることをわざわざ聞かれたのは、それがわざとだからだ。
「本当にすみません。……やだ、野木さん、透けちゃってますよ」
そりゃ、これだけの水を浴びれば白いシャツなんて透けるに決まっている。
そもそも、わざとでもない限り、横で手を洗っていた人の飛ばした水くらいで、これほどびしょ濡れになるはずもない。
「別に、乾くので大丈夫です」
(大丈夫。これくらい大したことない)
腕は拭けばいいし、透けていようと服もいずれ乾く。
「……ねぇねぇ、あれってブラトップかな? 」
「えー、彼氏が同じ会社にいるのに? 」
「やっぱりあれってさ、嘘だったんじゃない? そうとしか考えられないよ」
すみませんと言った口が、ドアを向いた瞬間にそんなことを集団で話しながら逃げていった。
「……大丈夫……」
そんなことくらいじゃもう、私のどこも傷つかない。
・・・
とは言っても。
傷はつかなくても、服が乾く時間は要る。
乾かそうにもまさか脱ぐわけにはいかないし、かと言って透けっぱなしというのも問題だ。
「わ、野木さん、それどうしたの」
「……ちょっと水浴びちゃって」
よりによって遭遇したのは佐野さんで、さっきのことなんか忘れたみたいに普通に話しかけてきた。
いや、普通より馴れ馴れしいかも。
室内を見渡してみれば、桐野 亜貴の姿はない。
(それで、なかったことにしたか)
妙に納得して、冷ややかだけど間抜けな返事になってしまった。
「大丈夫? 着替え……は、さすがにないか」
「大丈夫です。そのうち、乾くので」
それなのに、濡れた理由はそれほど気にならないらしい。
つまりこれは、好意からの優しさや心配ではない。
「待って。まさか、そのまま仕事する気? 」
「カーディガンあるので、気にしないでください」
(……どっちが遊び)
迷惑な話だ。
とにかく、私はこいつに捕まるくらいなら、冷たい服のまま席に戻って仕事をしたい。
まあ、目に入るのは悪いので、カーディガンを着てボタンも留めてやる。
「……っと、待ってよ。待てって」
「痛っ……」
――くは、ないのに。
(……手首を掴まれたくらいで、まだ、その言葉が出るの)
「佐野ー、やめとけよ。王子様のだろ」
「ばーか、どう見てもフェイクだろ。それに、桐野王子関係なくやめとくわ。この会社でスポーツブラってないよな」
「セクハラ甚だしいな。俺は何も言ってないから」
「そうですよ。今の時代、スポブラとかナイトブラでも、可愛いのたくさんあるんですから。ひどいですよ」
どれも全部、悪意ある発言だ。
善意を装っての、佐野さんの発言に対する肯定と便乗。
(舐められたもんだ)
そんなチャチもので、私がボロボロになって泣き崩れるとでも思って――……。
「……何やってんの? ……ってか、その前に手、離せよ」
人の胸元を見るので忙しく、その王子様の帰還には誰も気づかなかった。
私も同じだ。
さっき佐野さんと話した時よりも更に低い声が聞こえたと思ったら、私の手は自由になっていて――それに気づいた時には、佐野さんの身体は引き剥がされていた。



