副会長 夢川琉莉
黒板に張り出された紙に書かれた文字にホッとする。
「夢川さん、副会長になったんだ」
「わ! 柊くん!」
吐息が掛かるほど耳元で囁いたのは柊夏希くん。
明るい茶髪に着崩した制服はまさに歩く問題児といった様相だ。
同じクラスになった四月以降こうして話し掛けられるけど、六月になった今もまだ慣れない。
「もう! 近すぎるよ!」
耳を押さえながら数歩離れると、柊くんはクスリと楽し気に笑った。
笑いごとじゃないんだけどな。
「柊くんにとっては普通なことかもしれないけど、わたしはこういうことに慣れてないの!」
「へぇ、こういうことってどういうこと?」
「っう……」
にっこりと笑いかけてくる柊くんにたじたじになってしまう。
顔が熱くなってくる。
「何をしている?」
「あっ! 柊くん!」
廊下から教室を覗いていた柊くんに気付いて声を掛ける。柊くんは少しだけ眉根を寄せた。
「夏希といるときに苗字で呼ぶな。紛らわしいだろ」
「あ、ごめんね。春斗くん」
春斗くん。柊春斗くん。柊夏希くんの双子のお兄さんで、生徒会長に選出された人。
柊くんとは違って綺麗に整えられた黒髪に眼鏡という、優等生スタイルの春斗くん。
「春斗、夢川さんになんか用?」
「生徒会の用だ。俺も夢川も暇じゃないんだ。遊びなら他を当たれ、夏希」
「へいへい。じゃあお二人さん、お仕事頑張ってねー」
手をひらひらさせて柊くんは教室を出て行った。
いつものことながら軽いな。
「俺たちも生徒会室に行こう」
「うん」
「夏希とは親しいのか?」
生徒会会議を終えたわたしと春斗くんは並んで帰り道を歩く。
「柊くん? 同じクラスってだけだよ。別にそんなに話さないし」
「そうは見えなかったが」
「うーん……もしかしたら、わたしが生徒会役員やってて春斗くんとよく話すから気になるのかもね。お兄さんを取られちゃうと思って」
冗談半分で笑いながら言うと、春斗くんはわずかに首を振った。
「半分だな」
「え……?」
「…………」
「ちょっと柊くん、答えてよ」
「その柊くんって呼び方だがな、もう面倒だから夏希がいるいないに関わらず『春斗』でいい」
「……春斗くん」
わたしが呼ぶ『柊くん』は学年が上がる前までは春斗くんのことだけだった。
わたしと春斗くんは去年から生徒会役員をしていて、その縁で少し親しい。でも下の名前で呼ぶほどじゃなかったから、ずっと『柊くん』だった。
二年生になりわたしが春斗くんの弟である『柊夏希』に関わるようになってはじめて、ややこしいことに気が付いた。けれど教室と生徒会というまったく別の集団でのことだったから普段困ることはない。
でもせっかくだから、『春斗くん』と呼べるのなら呼びたい。
「それなら、わたしのことも『琉莉』でいいよ」
「なんでだ? 別に夢川は学年はおろか全校生徒の誰とも苗字被ってないだろ」
心の中でガーンという不憫な音が鳴る。理由は分からない。
「……もしかして春斗くん、全学年全生徒のフルネームを記憶してるの?」
「そりゃあ、まぁ」
当たり前ですがなにか、と言わんばかりの言い方にわたしは口を閉じた。
こういう風にちょっと人間離れした、でも全校生徒のためになる行動を平気でする春斗くんのことを尊敬してる。そんな彼を支えたくてわたしも副会長に立候補した。
「春斗くんって本当にすごいね。友達として鼻が高いよ」
「俺も夢川さんのことすごいと思ってるよ。俺と違って夢川さんは文系クラスでしょ。そっちのクラスの国語の授業で俳句読んだらしいけど、夢川さんが優秀賞取ってたの知ってるよ」
「なっ……そんなことまで知ってるの⁉」
悪いことじゃないけど驚いて声が裏返る。
恥ずかしい。大したことじゃないけど、なんか友達に知られてると思うとこう羞恥心が湧いてくるというか。
「俺も友達として鼻が高い」
同じ言葉が返って来て、わたしは一呼吸おいてから笑った。目が合うと、春斗くんも笑っている。
こんな日々がずっと続けばいい。そう願った。
「ごめーん、教科書忘れちゃったから見せてくれね?」
授業開始直前、隣の席の柊くんが手を合わせて困った顔をする。
わたしが答える前に少し遠くの席の女子が柊くんに声を掛けた。
「うちの教科書貸してあげる」
「いや、なんでだよ。同じ授業受けるんだから、困るだろ」
柊くんが断ると今度は別の女子が教科書を持ってくる。
「これどうぞ。私、二冊持ってるから」
「漫画で傘を貸すときの嘘か。で、結局傘がなくて困るやつな」
「ううん、本当の教科書二冊あるから」
その女子はもう一冊を見せてくる。
「いや、なんでだよ。二冊持ってたらおかしい代物だろ」
「昨日隣のクラスの友達に借りてまだ返してないだけ」
「返してこい!」
コントのようなやり取りで女子生徒を追い返した。
「いやー、モテるね。柊くん」
「別にモテてないって。普通にダチなだけ」
「そういうさらっとしてるところがウケるんだと思うよ」
チャイムが鳴り、わたしは柊くんの方へと机を寄せる。
授業が始まってしばらくは真面目に受けていた柊くんが退屈そうにし始めたと思ったら、こっそりと耳打ちをしてきた。
「そういえばさ、春斗とはもう付き合ってるの?」
「……っ」
予想外の言葉に大きな声を出しそうになり、必死でこらえた。授業中に出したら注目を集めてしまう。
「どうなの?」
「付き合うもなにも、わたしと春斗くんはそういうんじゃないし」
「え、嘘。春斗はけっこう夢川さんのこと好きだと思うんだけど」
「それは友達としてだよ」
友達としてなら好かれてる自信がある。
「夢川さんも友達として春斗のことが好きなの?」
「好きだよ。友達として、ね」
念を押しておかないと柊くんがまた余計なことを言いそうだったから、強調しておいた。
「ふぅん。そうなんだ」
まだ何か言いたそうな柊くんに、わたしは警戒の目を向ける。
「おれも夢川さんのこと好きなんだけど、夢川さんはおれのこと好き?」
「は……」
分かってる。これは柊くんの悪い癖だ。こうして楽しそうに人をからかうのだ。
わたしはにっこりと笑う。
「柊くんのことも好きだよ。友達として」
動揺しないように、付け込まれないようにしっかりと言い放った。
黒板に張り出された紙に書かれた文字にホッとする。
「夢川さん、副会長になったんだ」
「わ! 柊くん!」
吐息が掛かるほど耳元で囁いたのは柊夏希くん。
明るい茶髪に着崩した制服はまさに歩く問題児といった様相だ。
同じクラスになった四月以降こうして話し掛けられるけど、六月になった今もまだ慣れない。
「もう! 近すぎるよ!」
耳を押さえながら数歩離れると、柊くんはクスリと楽し気に笑った。
笑いごとじゃないんだけどな。
「柊くんにとっては普通なことかもしれないけど、わたしはこういうことに慣れてないの!」
「へぇ、こういうことってどういうこと?」
「っう……」
にっこりと笑いかけてくる柊くんにたじたじになってしまう。
顔が熱くなってくる。
「何をしている?」
「あっ! 柊くん!」
廊下から教室を覗いていた柊くんに気付いて声を掛ける。柊くんは少しだけ眉根を寄せた。
「夏希といるときに苗字で呼ぶな。紛らわしいだろ」
「あ、ごめんね。春斗くん」
春斗くん。柊春斗くん。柊夏希くんの双子のお兄さんで、生徒会長に選出された人。
柊くんとは違って綺麗に整えられた黒髪に眼鏡という、優等生スタイルの春斗くん。
「春斗、夢川さんになんか用?」
「生徒会の用だ。俺も夢川も暇じゃないんだ。遊びなら他を当たれ、夏希」
「へいへい。じゃあお二人さん、お仕事頑張ってねー」
手をひらひらさせて柊くんは教室を出て行った。
いつものことながら軽いな。
「俺たちも生徒会室に行こう」
「うん」
「夏希とは親しいのか?」
生徒会会議を終えたわたしと春斗くんは並んで帰り道を歩く。
「柊くん? 同じクラスってだけだよ。別にそんなに話さないし」
「そうは見えなかったが」
「うーん……もしかしたら、わたしが生徒会役員やってて春斗くんとよく話すから気になるのかもね。お兄さんを取られちゃうと思って」
冗談半分で笑いながら言うと、春斗くんはわずかに首を振った。
「半分だな」
「え……?」
「…………」
「ちょっと柊くん、答えてよ」
「その柊くんって呼び方だがな、もう面倒だから夏希がいるいないに関わらず『春斗』でいい」
「……春斗くん」
わたしが呼ぶ『柊くん』は学年が上がる前までは春斗くんのことだけだった。
わたしと春斗くんは去年から生徒会役員をしていて、その縁で少し親しい。でも下の名前で呼ぶほどじゃなかったから、ずっと『柊くん』だった。
二年生になりわたしが春斗くんの弟である『柊夏希』に関わるようになってはじめて、ややこしいことに気が付いた。けれど教室と生徒会というまったく別の集団でのことだったから普段困ることはない。
でもせっかくだから、『春斗くん』と呼べるのなら呼びたい。
「それなら、わたしのことも『琉莉』でいいよ」
「なんでだ? 別に夢川は学年はおろか全校生徒の誰とも苗字被ってないだろ」
心の中でガーンという不憫な音が鳴る。理由は分からない。
「……もしかして春斗くん、全学年全生徒のフルネームを記憶してるの?」
「そりゃあ、まぁ」
当たり前ですがなにか、と言わんばかりの言い方にわたしは口を閉じた。
こういう風にちょっと人間離れした、でも全校生徒のためになる行動を平気でする春斗くんのことを尊敬してる。そんな彼を支えたくてわたしも副会長に立候補した。
「春斗くんって本当にすごいね。友達として鼻が高いよ」
「俺も夢川さんのことすごいと思ってるよ。俺と違って夢川さんは文系クラスでしょ。そっちのクラスの国語の授業で俳句読んだらしいけど、夢川さんが優秀賞取ってたの知ってるよ」
「なっ……そんなことまで知ってるの⁉」
悪いことじゃないけど驚いて声が裏返る。
恥ずかしい。大したことじゃないけど、なんか友達に知られてると思うとこう羞恥心が湧いてくるというか。
「俺も友達として鼻が高い」
同じ言葉が返って来て、わたしは一呼吸おいてから笑った。目が合うと、春斗くんも笑っている。
こんな日々がずっと続けばいい。そう願った。
「ごめーん、教科書忘れちゃったから見せてくれね?」
授業開始直前、隣の席の柊くんが手を合わせて困った顔をする。
わたしが答える前に少し遠くの席の女子が柊くんに声を掛けた。
「うちの教科書貸してあげる」
「いや、なんでだよ。同じ授業受けるんだから、困るだろ」
柊くんが断ると今度は別の女子が教科書を持ってくる。
「これどうぞ。私、二冊持ってるから」
「漫画で傘を貸すときの嘘か。で、結局傘がなくて困るやつな」
「ううん、本当の教科書二冊あるから」
その女子はもう一冊を見せてくる。
「いや、なんでだよ。二冊持ってたらおかしい代物だろ」
「昨日隣のクラスの友達に借りてまだ返してないだけ」
「返してこい!」
コントのようなやり取りで女子生徒を追い返した。
「いやー、モテるね。柊くん」
「別にモテてないって。普通にダチなだけ」
「そういうさらっとしてるところがウケるんだと思うよ」
チャイムが鳴り、わたしは柊くんの方へと机を寄せる。
授業が始まってしばらくは真面目に受けていた柊くんが退屈そうにし始めたと思ったら、こっそりと耳打ちをしてきた。
「そういえばさ、春斗とはもう付き合ってるの?」
「……っ」
予想外の言葉に大きな声を出しそうになり、必死でこらえた。授業中に出したら注目を集めてしまう。
「どうなの?」
「付き合うもなにも、わたしと春斗くんはそういうんじゃないし」
「え、嘘。春斗はけっこう夢川さんのこと好きだと思うんだけど」
「それは友達としてだよ」
友達としてなら好かれてる自信がある。
「夢川さんも友達として春斗のことが好きなの?」
「好きだよ。友達として、ね」
念を押しておかないと柊くんがまた余計なことを言いそうだったから、強調しておいた。
「ふぅん。そうなんだ」
まだ何か言いたそうな柊くんに、わたしは警戒の目を向ける。
「おれも夢川さんのこと好きなんだけど、夢川さんはおれのこと好き?」
「は……」
分かってる。これは柊くんの悪い癖だ。こうして楽しそうに人をからかうのだ。
わたしはにっこりと笑う。
「柊くんのことも好きだよ。友達として」
動揺しないように、付け込まれないようにしっかりと言い放った。

