「お待たせ致しました。バニラエクレアでございます」
丁寧に5番テーブルのお客様にお出しする。
そして、深々とお辞儀をした紫陽花の足は、7番テーブルの外へと向けられていた。
「っっっ」
窓ガラスの先。
コンコースの一角にあるストリートピアノ。
そのピアノを弾いているのは……紛れもなく暖さんだった。
1年ぶりに聴いた彼のピアノ。
ゆったりとした音色なのに、どこか儚げで。
カフェの中にいる私だけに届く、形のないラブレター。
澄んでいる音色なのに、甘く切なく感じる。
その音色は15分ほど響いて来て、いつの間にか聴こえなくなった。
ガラスの先に、彼の姿もない。
会いたいと思う気持ちが大きいばかりに、幻でも見たのだろうか?
いや、幻聴??
姿が見えなくなって、音色も聴こえてなくなったら、自信がなくなってきた。
私の勘違いだったのかな。
*
21時を回り、カフェが閉店になった。
事務処理をする健兄の横を通り過ぎ、カーテンで仕切られた空間で着替えをする。
「健兄」
「……ん?」
「さっき、ピアノの音しいひんかった?」
「さっきっていつ?」
「18時くらい?」
「私雨が降った時か?」
「……そうかも!」
私雨。
限られた小地域に降るにわか雨。
ふもとは晴れているのに山地にだけ降る特殊な雨で、日本では鈴鹿、箱根、比叡。
そして、この地が昔から有名だ。
着替えを終え、ロッカーから鞄を取り出す。
すると、鞄の中に入れっぱなしのスマホにメッセージが1件、受信されていた。
『ベンチで待ってる』



