貴方の恋人になりますと言ったリリアンに、クロードは満足そうに笑ってから「じゃあ行くか」と手を差し伸べた。

「どこに行かれるんですか?」
「勿論、公爵家に決まってるだろう。これからの話もしなきゃだしな」
「い、今からですか……!?」

さっきの今でそれはさすがに早すぎると、リリアンは驚く。何より、今日は試合を朝から観戦して少し疲れていたのだ。できれば後日にしてほしかった。

「明日以降では駄目ですか?少し疲れたので今日は休みたいのですが……」
「そうか、なら泊まっていくといい。部屋を用意しよう」

なんでそうなるの!?内心叫び、諦めた。どうしても帰ることは難しそうだと悟ったからだ。
そうしてリリアンは今、詳しい詳細を決めるためウィノスティン公爵家へ来たのだけれど。

「わあ……」

目の前の建物を見上げ思わず嘆声を漏らす。ソフィアの家である侯爵家も遊びに行く度に「相変わらず大きい」と感じていたけど、公爵家はもっと凄くて、リリアンはまるで異世界に迷い込んでしまったかのような妙な気分になった。

「座ってくれ」
「は、はい」

促されたリリアンはクロードの向かいのソファへ腰掛けた。甘い香りの紅茶と、さくら色の可愛らしいケーキがテーブルの上へと置かれる。
クロードは雲の上の存在なのだと、ここ最近は忘れかけていたことをようやく思い出し始めた。

「あの本当にいいんでしょうか?」
「なんだ、今更気が変わったとは言わせないぞ」
「いえ、そうではなく。本当に私でいいのかなと……」

ここまで来ておいて今更だけど、やっぱり全てが平凡なリリアンよりもっと相応しい人が沢山いるのではないか。躊躇うリリアンにクロードは真剣に口にした。

「言っただろう、君じゃないと駄目だと。だから余計な迷いは捨てろ」

ハッキリと伝えられる。そうだ、決まったことに対して悩んでいても仕方ない。迷いを打ち消し、その信頼に応えるためにリリアンも頷いた。

「はい!絶対に公爵様を好きになったり、別れる時に面倒をかけたりしないようにしますので安心してください!」
「……」

クロードは何故か突然黙り込み、リリアンは首を傾げた。てっきり「当然そうしてもらわないと困る」とでも言われると思っていたのに。
後ろから「ふふっ」と小さな笑い声も聞こえて、もしかして何か変なことでも言ってしまったのだろうかと不安になった。

「あの、公爵様……?」
「……いや、なんでもない」

長い沈黙後、苦虫を噛み潰したような顔でクロードは息を吐いた。



「それで、これから何を決められるのですか?」

クロードのことだから契約書でも出してきそうだと、リリアンはいつでもサインをできるように構えた。期間やルールはある程度、決めておいた方がいいのかもしれない。頭の中で色々な案を出してみる。

「そうだな。まずは、初めのデートはどこにするか決めよう」
「??」

けれど次の瞬間、予想とは全く違う返答がきてリリアンは戸惑った。

「ええっと、先に期間やルールを決めた方がいいのではないでしょうか?」
「……それは必要か?」
「はい。大まかにでも決めておいた方がいいと思うんです。例えばお互いの私情には干渉しない、のような」
「何を言ってるんだ?それよりもデートの場所決めの方が大事に決まっているだろう。細かいことをチマチマ決めていくより、一度デートでもして周囲に知らしめた方が早いはずだ」
「そう、ですかね……?」
「ああ。当然のことだ、時間は効率に使わないとな」

やっぱり一応は決めておいた方がいいのではと思ったけれど、クロードがあまりにも確信的に話すからリリアンもそんな気がしてきて。
結局、気圧されるままに頷いてしまった。


「では今度こそどこにするか決めよう。ハーシェル嬢はどこがいいと思う?」
「やはりカフェとかでしょうか。人目もあって、噂を広めるには一番最適な場所だと思います」
「そうだな。俺は演劇やオペラもありだと思うのだが」
「うーん、それも確かに良さそうですね」

デートコースとして定番の場所でもあると、リリアンは納得する。リリアンが頷くとクロードは「決まりだな」と呟いた。

「演劇かオペラを見た後にカフェへ行こう。これなら人々は皆、俺たちがデートをしているのだと間違いなく思うはずだ」
「はい、私もそれでいいと思います」
「次に呼び方だが、お互い名前呼びにするのはどうだ?『公爵様』と『ハーシェル嬢』だと他人のようだからな」
「そこまで考える人がいますかね……?」
「いずれ疑う人が出てくるかもしれない。だからその可能性を潰しておくに越したことはないだろう」

そこまで考えつかなかったリリアンは、何手先も読むクロードに感心した。

「俺は君のことをリリアンと呼ぶから、君も今から俺のことは名前で呼んでくれ」
「今からですか……!?」
「ああ、少しでも慣れておいた方がいいだろう」

本当にこの公爵はせっかちだ。いや、いつも迅速だからこそ仕事もできるんだろうけど!それにしてもこんな急に言われても……

「焦らないでいい。君の心の準備が出来るまで、いくらでも待とう」

たじろぐリリアンをクロードは上機嫌に見つめた。言葉は優しいはずなのに圧を感じるのはなぜだろうか。

「〜〜〜くっ、くろーどさま」
「…………」

リリアンは意を決して口を開く。ユリウス以外の男の人の名前を呼んだことがなかったから、緊張のあまり声が裏返ってしまい、顔が熱くなった。
しかも、急かした張本人は黙り込んでいる始末で、余計いたたまれなくなる。

「も、もういいですよね!?私はそろそろ失礼します!」
「待ってくれ」

羞恥が限界を突破し、リリアンは立ち上がる。しかし、帰ろうとしたリリアンを阻むように、クロードが先にドアノブへ手を掛けた。
トンッっと、クロードの左腕がドアへとぶつかって、リリアンの身体の上に影が落ちる。
一切お互いの身体は触れていないのに、まるでクロードに抱きしめられているようでリリアンは硬直した。

「もう一回」

後ろを向いているからクロードが今どんな顔をしているのかは分からない。けれど、その声はあまりにも切実にリリアンの耳へと響いた。


「もう一回呼んでくれ――リリアン」
「……っ、クロード様……」


今度は噛まずにちゃんと言えたけど。
リリアンは暫くその場から動くことができなかった。