「オリヴァー!オリヴァー!」

明朝、けたたましい呼び声が響く。オリヴァーは目を瞑ったまま寝具を頭まで被り直した。起きるにはまだ早かったからだ。

「オリヴァー!」

しかし、そんな事はお構いなしに部屋の扉は開かれる。自分の呼び名を叫びながら入ってきたクロードの髪は跳ねていて、彼も寝起きなのだと分かった。

「昨日確かにリリアンと恋人になったはずなんだが、あれは夢か!?」

夢と現実の区別がつかないクロードが疑問を口にする。
彼の頭が回っていないのは、舞踏会が終わってから一週間の間、一秒でも長くリリアンに会う為に無理をした疲れが今になって押し寄せて来たせいだろう。

「そうですね……夢かもしれません」

一方でオリヴァーもまた、この一週間、馬車馬の如く働いた疲労により寝ぼけていた。

昨夜、夢見心地な表情のクロードから「リリアンと恋人になった」と聞いた気がする。だけどそれはよく考えたら夢だったかもしれないとオリヴァーは思い直した。

「ならリリアンが俺を好きだと言ったのも?」
「夢ですね」

オリヴァーはキッパリと断言する。「夢か……」と落ち込むクロードが可哀想ではあったけど、後から現実を突きつけられるよりはまだ傷も浅いはずだ。

「夢は願望の現れと言うじゃないですか」
「……」

クロードは何も言い返せず黙り込む。やっぱりあれは自分に都合のいい夢だったのだと。

「クソッ……せっかくいい夢見だったのに」

どうせならもっと長く見ていたかったとクロードは呟く。彼は「起こして悪かったな」と謝ながら、自室へと戻っていった。オリヴァーは静かになった部屋でもう一度目を閉じた。
やっぱり起きるにはまだ早かったので。



***



「おはようございます、クロード様。今日は随分と不機嫌ですね。昨日ようやくハーシェル令嬢と恋人になられましたのに」

数時間後。執務室へ入るなり睨んできたクロードにオリヴァーは首を傾ける。大層機嫌が良いだろうと予想していたのとは反対に、まるで親の仇でも見るような目つきだった。

「お前ちゃんと覚えてるんじゃないか!」
「はい?」

オリヴァーの発言にクロードは更に目を吊り上げた。

「朝に俺が尋ねた時は、夢だと言い切っただろ」

クロードは苦虫を噛み潰したような表情でブツブツと恨み言を呟く。
記憶を辿り、すぐその意味を理解した。彼はオリヴァーから否定されたことにより、リリアンと恋人になったのは夢だったんだとショックを受けたまま朝の時間を過ごしていたらしい。

「寝起きでしたのでどうやら頭が回っていなかったようです」
「……お前がか?」

そんな人間らしい所があったのかと疑うようにクロードは目を細める。オリヴァーは瞼を閉じて微笑んだ。

「ええ。クロード様がずっとハーシェル令嬢を想い続けてきたことを知っていますからね。喜ばしいことがあったのです。私も気が抜けたのでしょう」
「オリヴァー……」
「クロード様は生涯独身を貫くことになると思っていましたが、人生とは分からないものですね」
「だから、お前は何でそう一言多いんだ!そもそもお前はいつもいつも――」

クロードが口にする日々の不満をオリヴァーは聞き流す。叱られているにも関わらず笑みを零すオリヴァーにクロードは片眉を上げた。

「おい何で笑ってるんだ」
「大したことじゃありませんよ。ただ、こうしている間に、クロード様がハーシェル令嬢と会える時間が短くなっていると思いまして」
「……」
「ですがこれも余計な一言でしたね」

にっこり笑うオリヴァーにクロードは口を噤む。事実、仕事を早く片付ければその分リリアンに早く会えるのだから。

「ここまで減らず口を叩ける人間はそういないだろうな」
「お褒めに預かり光栄です」
「一切褒めてない」

まったく、と愚痴を零しながらもクロードは書類に視線を向ける。腹立たしさは残っていても、リリアンと会える時間が減る方が嫌なようだった。

オリヴァーはそんなクロードを視界の端で捉えて、気付かれないようもう一度笑う。

「……事実なんですけどね」

本当の兄弟のように、誰よりも近くで育ってきたのだ。クロードがリリアンに出会った日も、目で追っている姿も、話しかけることができないのに他の男には嫉妬してしまう所も、全部一番近くで見てきた。

そんなクロードの想いが叶ったのだから、嬉しくないわけがなかった。

「今、何か言ったか?」

呟きを拾ったクロードが顔を上げる。
しかしオリヴァーは心の内を伝えるつもりはない。

「そろそろ連休が恋しいと思いまして」

だから代わりに、オリヴァーはいつもと変わらない言葉を口にした。
クロードへの祝福は胸中に留めたまま。