夜の庭園には誰も居なく、手入れの施された花たちだけが静かに風に揺れていた。公爵家の庭園に比べると物足りないかもしれないと考えたリリアンの気持ちを読んだかのように、クロードは「いい場所だな」と微笑む。

「クロード様、なんだかご機嫌ですね」

自分をエスコートしてくれているクロードを見上げ、呟く。リリアンはクロードとユリウスの二人に挟まれ、疲労しているというのに。当の本人は口角を上げ、今にも口笛を吹き出しそうな程、気分が良さそうだ。

「そう見えるか?」
「はい、とても」
「確かに悪くはないが、良いとも言えないな」
「そうなんですか?」

予想外の返答にリリアンは目を瞬かせた。クロードは自分の上着をリリアンの肩へ掛けて、デートでする時のような形に手を繋ぎ直す。

「せっかく仕事を終わらせて来たのに、肝心の君は居なかったんだからな。アイツと二人で出掛けていると聞いて、俺がどんな気持ちだったか分かるか?」
「でも今日は約束もしていませんでしたし……」
「ああ、分かっている。君は何も悪くない。だが、もう二度と渡したくないんだ」
「それはどういう……?」

クロードがぐっと耐えるように顔を歪めた。絶対離したくないと言わんばかりに、握られた手に力が込もる。その表情と、言葉は一体どういう意味なのか分からずリリアンは戸惑ってしまう。

「もしかして以前にでも、ユリウスと何かあったんですか?二人はその、あまり仲が良くないようなので……」
「直接関わりがあったわけじゃない。理由がなくたって嫌いになることはできる」

やっぱりクロードはユリウスをあまり好きではないらしい。敵対心を持つのもその為だろう。
リリアンも幼い頃は話したことがない使用人にも嫌われていたから、それを理解することができた。

「それなら、仕方ないですね」
「……意外だな。君の弟を嫌いだと言ったから、怒られると思ったのに」
「怒りませんよ。だってそれはクロード様の心じゃないですか。誰かを好きになるのが自由なように、嫌いになるのもまた自由ですから」

そして一度芽生えた気持ちを簡単には変えられないことも、リリアンはよく知っている。
だからクロードとユリウスが仲良くしてくれれば嬉しいけど、それを強制する気はなかった。

「あっ、でも食事中まで喧嘩するのは止めてくださいね!するならそれ以外でお願いします!」
「これからは気をつけるよ。それで、リリアン」

クロードの雰囲気が和らいでいく。他にもまだあるのかと、リリアンは歩きながら「今度はなんですか?」と聞き返した。

「抱き締めてもいいか」

足が止まる。横にいるクロードは答えを待って、じっとリリアンを見つめていた。

「い、今は誰も居ないので、そこまでする必要はないと思います……!何度か練習したおかげで、最近は私も少しは恋人らしく振る舞えるようになってきましたし」

リリアンはクロードの視線を避けながら、早口で言い訳めいたことを口走ってしまう。繋がれた手を反射的に引こうとしたけれど、クロードはそれを許してくれなかった。

「俺がただ、そうしたいと言ったら嫌か?」

真っ直ぐ問われて、返答に窮した。
最近リリアンはどこかおかしい。普通に話す分には問題ないのに、こうしてクロードに近付かれると緊張してしまう。今だって、本当は手を繋ぐだけでも手一杯なのだ。

「……嫌ではないですけど、恥ずかしいので……」
「それは残念だな」
「で、でもクロード様が、どうしてもと言うなら……いいですよ」

声が上ずる。クロードの目を見れずリリアンは下を向いた。場が静まり返り、まさか冗談だったんじゃないかと勘づく。
そうとも知らずに、一人で勝手に意識してしまった。顔が熱くなり、羞恥に襲われる。

「クロード様、これからこういった冗談は――」
「何が冗談だって?」

やめて下さいと言おうとした声は、クロードにかき消された。

「冗談でこんなことしない」

耳元へ響いた声にリリアンは口を噤んだ。
誰かに見せるためでも、練習のためでもない抱擁は初めてだった。

「結局、今日はどこに行ってきたんだ」
「……それは今する話ですか?」

ムードも何もない質問に気が抜ける。二人きりの夜の庭園。普通の恋人同士なら愛を囁き合うのだろう。でもリリアンとクロードはあくまでも契約関係でしかないのだ。

「もうすぐビビの誕生日なので、プレゼントを買いに行ってたんです」
「ああ、ペトロフ令嬢か。仲がいいんだな」
「はい、よくお茶に誘ってもらったりします!ずっとソフィア以外の友人が、私には居なかったので嬉しいです」
「そうか」

子供を褒めるみたいに、クロードがリリアンの頭を撫でる。他人からすれば大したことがないはずなのに、何故かクロードは嬉しそうに微笑む。

「誕生パーティーは確か再来週だったな」
「えっ、どうしてそれを?まさかクロード様にも招待状が?」
「そうだ。仕事を予定に断るつもりだったが、リリアンが世話になっている友人なら顔を出さないわけにもいかないだろう」
「……そうですね」

何だか胸が靄かかったように、スッキリしなかった。気持ちが沈むリリアンとは反対に、クロードは表情を緩める。

「何だ?もしかして嫉妬しているのか」
「そう、かもしれません。ごめんなさい、クロード様は何も悪くないのに……」

リリアンに嫉妬する権利なんてないくせに。いつからこんなに心が狭くなってしまったのだろう。

「そんなこと気にしなくていい。寧ろ君にされるなら嬉しいくらいだ。それに俺だって時々することもある」
「クロード様が?意外です。てっきり友人関係はもっとドライだと思っていました」
「……友人関係?」
「?はい。でもクロード様も同じだと知って安心しました」
「……」

クロードがビビアンの招待状をもらったと聞いて、素直に喜ぶことが出来なかった。ソフィアに感じたことがなかった感情を抱いてしまったのは、きっと友人ができたのが久しぶりだったせいだろう。

「クロード様の友人はどんな方なんですか?もし良ければ今度私にも紹介して……」
「そんな奴はいない」

フンッとクロードが顔を背ける。隠そうとしなくても、別に奪ったりしないのに。
思わず笑ってしまえばクロードは不満そうにしながら、リリアンの頬を引っ張った。