クロードはリリアンが泣き止むまでの間、ずっと静かに抱き締めてくれていた。

「ふふ……ふふふ……っ」
「リリアン?」

暫くして。ようやく落ち着いたリリアンが突然肩を震わせる。一体どうしたのかとクロードが戸惑いがちに尋ねた。

「ふふっ、ごめんなさい。実はこんなに泣いたのは久しぶりで」
「そうなのか?」
「はい。昔は泣き虫だったんですけどね」

幼い頃のリリアンは泣き虫で、何かある度にすぐ泣いていた。けれど、あの日から。ユリウスに出会った日から八年間ずっと、どんな時も泣くのを我慢してきたのだ。

「約束したんです」
「……約束?」
「はい。『泣き虫はもうやめる』って」
「リリアンそれは――」

クロードが息を呑み、目を瞠る。

「クロード様……?」
「っ、すまない」

いきなり肩を掴まれて困惑したリリアンがクロードの名を呼べば、彼はハッと我に返ったかのようにすぐ手を離した。

「その、今の話なのだが。約束の相手は覚えているか……?」
「えっと、はい。……ユリウスです」
「…………そうか」

クロードが顔を歪める。その表情が今にも泣いてしまいそうに見えて、リリアンは無意識のうちにクロードへと手を伸ばした。

「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないと言ったら?」
「うーん、クロード様がしてくれたように、私も抱き締めてあげます?」
「そうか。じゃあ頼む」

笑ってくれればいいと思いながら口にした冗談のつもりだったのだけれど、クロードが腕を広げるからリリアンは狼狽してしまう。慌てふためく姿を見て愉快そうに口角をあげるクロードに、リリアンは抗議した。

「もうっ!笑ってるじゃないですか!」
「ははっ、すまない君があまりにも愛らしくて。それで抱き締めてはくれないのか?」

砂糖を煮詰めたような甘い声色と眼差しにリリアンの心臓がどきりと音を立てる。友人を抱き締めるみたいに手を伸ばせばいいだけなのに、何だか気恥ずかしくなってきて「も、もう時間切れです!」と顔を背けた時。

「姉さん?」

クロードよりも高いテノールの声に呼ばれてリリアンは振り向いた。

「ユリウス!お帰りなさい、帰ってきてたのね」
「うん、ついさっき。ウィノスティン公爵様もいらしてたのですね」

団服を着たままのユリウスがリリアンへ微笑む。しかし横にいるクロードを視界に映した途端、柔らかな表情が真顔へと変わる。それはほんの一瞬の変化で、リリアンは気が付かなかった。

「姉さん、もう遅いしそろそろ公爵様を送った方がいいんじゃない?」
「あっそうね!こんな時間までごめんなさいクロード様。門までお送りしますね」

時計を見るともう夜も遅くて、随分とクロードを引き止めていた事に気が付く。
すぐに外へ出ようとしたリリアンにユリウスは引き止めた。

「待って、危ないから俺も行くよ」
「もうユリウスは心配性ね。屋敷内なんだから大丈夫よ」
「駄目。暗いし……」

パシッと。ユリウスがリリアンへ伸ばした手をクロードが突然払いのけた。

「……何をするんですか公爵様」
「ああ、すまない。どうも俺は嫉妬深い性格のようでね。彼女に他の男が触れると思うと、我慢できなかったみたいだ」
「俺と姉さんは姉弟ですよ」

ピリピリと冷たい空気が肌を刺す。突如不穏になった雰囲気にリリアンは混乱した。ユリウスはクロードのことがあまり好きじゃない様子ではあったけど、なんでクロードまで、と。

「す、すぐ戻って来るから大丈夫よ!クロード様行きましょう!」

色んな疑問が頭を過ぎたけれど、一先ず今はこの空気をどうにかしようとリリアンはクロードを引っ張り、その場から離れることにした。




「クロード様どうしたんですか急に!」

大人しく着いてきたクロードに、外へ出てすぐリリアンは問いかける。しかしクロードは微塵も自分は悪くないと言いたげな顔だった。

「言っただろう、他の男に触られたくないと」
「でもユリウスは……」
「弟だから、とでも言う気か?」
「……」

何も言い返せなかった。それが言い訳にならないことを、リリアン自身が一番知っているから。
不思議なことに、以前だったらここで感じていただろう拒否感のようなものを、今回は感じることはなかった。

「……それでも、手を叩き落とすのはやめてください」
「ふむ。そうだな、善処しよう」

『善処する』じゃなくて『もうしない』と言ってほしいとリリアンは思った。それでも一応は約束できたからと、安堵の息を吐く。

「今日は長く引き止めてすみませんでした。その、ありがとうございました」

馬車に乗ろうとしてるクロードへ、色んな意味を込めてリリアンはお礼を伝える。クロードもそれをきちんと受け取ったのか、ふっと笑いながら「ああ」と頷いた。

「ではまた来週――!?」

お会いしましょうと、言いかけた言葉は声にならなかった。不意に引っ張られた身体の重心が前へと傾いて、黒に覆われる。
それは慰められた時のような優しい抱擁ではなく、もっと荒々しい息が止まりそうなものだった。

「リリアン、――――」

吐息が耳へと触れる。まるで全ての神経がそこへ集まっているんじゃないかと思うほどに、耳が熱くて焼けてしまいそうだ。
離れていった後も、囁かれたクロードの言葉が頭の中で何度も響く。


――泣きたくなった時は必ず俺の側で泣け。お前が泣き止むまで、ずっと隣にいるから。だから他の男には見せてくれるなよ


叫びそうになったリリアンは、咄嗟に手の甲で口を抑える。ひんやり冷たい手が、顔の熱を少しだけ冷ましてくれてる気がした。

馬車を見送った後もリリアンは突っ立ったままで。ユリウスが呼びに来るまでの間、その場から動くことができなかった。