どうやら人は本当に驚いた時、声が出なくなるらしい。伯爵の発言にリリアンは言葉もないまま固まった。理解は出来ているはずなのに、頭が上手く働かなかった。

好きな人との結婚。それはきっと貴族令嬢の誰もが一度くらいは夢見ることだろう。
しかし現実はそう簡単なことじゃない。貴族の結婚とは家同士の関係を深めたり、利害をもたらす為にするのが主で、そこに個人の意思は関係ないのだ。
リリアンも夢見たことくらいはあった。けれどそれはとうに諦めたはずの夢だった。
だってユリウスは弟になってしまったのだから。

「お、お父様、でも私とユリウスは姉弟で……」
「うん?だけど血は繋がっていないだろう」

頭がくらくら揺れる中で、リリアンは震える口を開いた。伯爵は完全に酔っているのか、ぼんやりとした表情でリリアンの質問に答える。
一体いつから考えていたのか、どうして今になって言うのか、色んな問いが頭の中で渦巻く。

「ユ、ユリウスは……!お父様、ユリウスは何て……っ」
「リリアン」

血の気を失った顔でその場から立ち上がったリリアンのことを、横から静かに呼ぶ声がした。

「どうやら伯爵は酔っているようだ。その辺にしといてやれ」
「あ……」

その時ようやくリリアンは、クロードの存在を思い出した。本当はもっと聞きたいことが沢山あったけれど、ぎゅっと目を瞑ったリリアンは「はい」と素直に頷く。そして、酔った伯爵を部屋に連れていくようにと使用人へ頼んだ。
伯爵が部屋へ消えた後もリリアンの頭の中は先程のことでいっぱいだった。

「ごめんなさい」

静寂に包まれた室内で、リリアンは小さく呟く。

「ごめんなさい、クロード様……」
「……それは何に対しての謝罪だ」

固くて低い声がする。黙り込むリリアンにクロードは問いかけた。

「まさかユリウス・ハーシェルと結婚したいとでも言い出す気か?」
「……」
「はっ、黙りか」

吐き捨てるような冷たい響きに、心臓が締め付けられるように苦しくなる。リリアンは何か言いたかったけれど、口も身体もまるで金縛りにあったように動かせなかった。
そんなリリアンを見て、クロードは深く溜息を吐きながら手の平で顔を覆う。

「だからもう俺との恋人関係は解消したいと思ってるって?アイツと結婚するために」
「…………っ、いいえ」

それは初めて聞く弱々しい声色だった。リリアンは何とか否定を捻り出す。そのおかげか、ピリピリしていたクロードの雰囲気が少しだけ和らいだ。

「なら何故そんな顔をしている?リリアンお前の気持ちを教えてくれ。どうしたらお前は……」

ぐっとクロードが唇を噛み締める。リリアンは頭の中がずっとぐちゃぐちゃだった。
ユリウスへの気持ちはクロードの恋人になる時に区切りを付けたつもりだった。にも関わらず、伯爵のたった一言でいとも簡単に引き戻されてしまったのだ。

「分かりません」
「……何が分からない?」
「どうすればいいのか分からないんです」

義姉弟が結婚出来ることは、リリアンも知っていた。自分が心から望めば叶うかもしれないことも。好きな人と結婚出来たら、きっとリリアンは世界一幸せになれるだろう。だけど。

「ユリウスは、好きでもない女と結婚させられて幸せになれますか?」
「……」

ユリウスが自分を大事にしてくれているのは知っている。しかし、それはあくまで家族として。そこに色恋は含まれていないのだ。
一度零れてしまえばもう駄目だった。リリアンは堰を切ったように言葉を溢れ出す。

「可能性があるなんて知りたくなかった。そうすればちゃんと諦められたのに……っ」
「……」
「お情けで結婚なんてされたくないと思っているのに。……それでもいいから側に居たいと、狡いことを考えてしまうの」
「……リリアン」
「卑怯で最低よ。私は――」
「リリアン、もういい」

大粒の涙を零すリリアンを、クロードは自分の胸へと抱き寄せる。ぼろぼろと溢れる涙が自分の服を濡らすけれど、そんなことは気にも留めずに抱く腕に力を込めた。

「俺が悪かったからもう泣くな」
「……うぅ……ぐすっ……」
「ユリウスのことを好きなままで構わない。だからこれ以上自分を責めるな」
「どうして、」

どうしてそんなに優しくしてくれるのだろう。クロード様は何も悪くないのに。
いっそのことリリアンを責めてくれれば良かった。未練がましい女だとそう言って鼻で笑ってくれたら。


そしたら、こんなに涙が溢れることもなかったのに。
抱き締めてくれるクロードの胸の中は広く温かくて……何故かほんの少しだけ、懐かしい香りがした。