劇団『碧い星』では、新たな配役による劇が始まった。

 今日はその初日。特に大きなミスもなく、幕が下りた後にはいつものようにカーテンコールが鳴り響いていた。役者達は誰もがほっと胸を撫でおろし、マリアンヌがいなくても何も問題はないと思った。
 しかし、帰っていく観客の表情をよく見ればそれが間違った考えであることはすぐに分かる。

 いつもは興奮冷めやらぬ、と頬を上気させ帰る観客が、今日は淡々と出口に向かっている。劇は面白かった、しかしそこに期待していたような、心を打たれるものがない。誰かが言った。

「新しく看板女優になったレーナ、確かに綺麗なんだけれど、どうしてかな。心に台詞が響いてこない」
「うん、自分をいかに美しく見せるかを意識しすぎて、役を生きていないって感じだよな」

 新しい劇は令嬢に扮したレーナが、婚約者の護衛騎士と恋に落ち駆け落ちをする物語。
 レーナの豪華なドレス姿は美しく、観客の目を一身に集めた。

 だけれど、一つ一つの所作が雑で令嬢らしからぬ振る舞いが演じるにつれて目についた。
 そのせいか観客たちは舞台の世界に入り込めない。

「それに脚本もいまいちじゃなかった?」
「レーナばかりを出しすぎだったな。もっと婚約者や騎士の苦悩、両親との関係も観たかった」

 脚本家はレーナに頼まれ、必要以上にその出番を増やした。
 主役としての初舞台であることを考えても、それは些かやりすぎで、ベテラン役者も眉を顰め中には苦言を呈する者もいたけれど、脚本は書き直されることはなかった。

「どうする、次の舞台も見るか?」

 劇は二ヶ月開催され、一ヶ月の休演を挟んでまた新しい劇が二ヶ月始まる。

「うーん、とりあえず見るかな。それで今回と同じようだったら次からは来ない」
「同感だ。しかもこのタイミングでチケットの金額をあげるなんて『碧い星』も随分強気にでたもんだ」

 そんな会話がされているとは露にも思いわず、レーナはご満悦とばかりに鏡に微笑みかけた。
 誰もが自分の美貌を褒め、うっとりと頬を赤らめる。スポットライトを浴びるのはやはりマリアンヌより自分が相応しいと思った。

「劇団長、次も私が主役ですよね」
「それがだね。次は騎士が主役の物語を考えているんだ」
「だったらその騎士を演じるのは私ですよね」

 当然とばかりに応えるレーナに劇団長兼脚本家は言葉に詰まる。僅かに眉間に皺をよせ、躊躇いながらレーナに聞いた。

「でも、レーナは男役をしたことがないだろう?」
「だから次回の公演でするのよ。私の初の男役だからきっと観客も喜ぶわ」
「剣なんて握ったこともないのにか?」
「だって騎士だろうと、老人だろうと、令嬢だろうと主役はいつもマリアンヌがしていたじゃない。今は私が看板女優なんだから、私が演じるのが当然でしょう?」

 マリアンヌは下積み時代、性別問わず様々な役を演じていた。その度に街に出て、持ち前の観察力で通り過ぎる人を観察し続けた。夏の炎天下でも雪の日でも。その努力による土台があってこそ、主役としてどんな人物も演じることができたのだ。
 レーナは美しく、才能もある。しかし、演じて日が浅い上に、その愛らしい容姿を際立たせるような配役しか回ってこなかった。いや、劇団長に頼み美しく着飾る役しかしなかったのだ。
 舞台に立つと華があり、人の目を集める魅力があるのは間違いない。
 しかし、看板女優として舞台を引っ張っていくだけの力はなかった。

 それだけじゃない。
 マリアンヌは常に他の劇団員達の演技にも目を配り、適切なアドバイスをしていた。
 それを目の上のたんこぶの様に感じる者もいたけれど、マリアンヌが全ての演技に目を通していたからこそ、劇団は一つに纏まっていた。
 本来ならそれは劇団長の仕事だけれど、いつ頃からかマリアンヌがやっていた。ごく自然と。

 だから、マリアンヌがいなくなった今、劇団としての纏まりが弱くなっていた。テンポの良い掛け合い、阿吽の呼吸。長年積み重ねたものが突然損なわれることはないし、今日の公演だって悪い出来ではない。しかし、少しずつ何かがずれてきているような違和感を感じる劇団員も少なくなかった。

 次回の劇はまた令嬢が主役のものに決まった。レーナの騎士が人に見せられるレベルでなかったから。
 同じ内容が続けば観客が飽きるのも早い。
 こうして『劇団碧い星』に足を運ぶ人は、日ごとに減っていった。