大好きなおばあちゃんへ


 西の森を出てから、一ヶ月がたちました。
 わたしは西の森に帰りたくてしかたがありません。
 ママは、はやくお友だちを作れと言います。
 でも、わたしは西の森に帰るつもりなのです。

 お友だちは作らないし、ママのいうことを聞く気もありません。
 くるしくても、かなしくても、さみしくなってなみだが出ても。

 そうね、このままひとりぼっちでも。


 ユウイ


 はぁ、と大きくため息をついて、ユウイは鉛筆を机の上に置いた。


 ふと机の前にある窓を見やれば、はじけるような笑い声とともに、街の子どもたちが通り過ぎていくのが見える。


 ユウイは苦虫をかみつぶして飲み込んでしまったような顔をしながら、手をのばし窓のカーテンを閉めた。


 そうして椅子に座りなおすと、ノートに書いた祖母への手紙を読み直し、再び大きなため息をついた。



 一ヶ月前。西の森で暮らすユウイのもとへ突然現れたのは母だった。


 何の説明もないうちに、母はユウイとユウイの荷物を抱えて馬車に乗り込むと、祖母に挨拶もしないまま西の森を後にしたのだった。


 揺れる馬車の中。ユウイはどういうことなのか母に何度も説明を求めたが、母は何も答えなかった。わけのわからぬまま、まるで誘拐のように祖母との生活を引き離されたユウイは、馬車の中でただ泣くことしかできなかった。


 それから一ヶ月間。ユウイは祖母からの連絡を待ち続けたが、連絡は一向に来ず。


 海外で仕事をしている父からも、同じように連絡はない。


 きっと、二人とも怒っているのだ。自分は無理やり母に連れてこられただけなのに。



 ユウイはなんとか祖母と連絡を取ろうとした。母の目を盗んで何度か手紙を書いてポストに投函しに行ったが、やはり返事はない。


 これはもう、祖母に嫌われてしまったに違いないと思った。


 一人で西の森に帰ることも考えた。けれどユウイの連れてこられたこの街、ベーグルノーズは少し特殊な街らしく、街から外に出る船は月に一度しか出ていないという。そして街を出るのも入るのも厳しい審査があり、ひどく閉鎖的な街だった。



 一週間、二週間。そうして一ヶ月経っても、母はここにユウイを連れてきた理由も、祖母と父が今どうしているかも話してはくれない。つまらない世間話は飽きるほど聞かせてくれるのに。一番聞きたいことは聞いてはいけないという暗黙のルールが、自然にできていた。


 ユウイは行き場のない思いを抱えながら、毎日を部屋の中で過ごしていた。じりじり、もやもや。胸の中で不満が焦げ付いている。


 このどうにもならない不満と不安を、どこかにぶつけられたらいいのに。


 ユウイは西の森でノートに書いていた日記を読み返し、祖母との楽しかった日々を思い出しては泣いていた。泣きながら、届くあてのない手紙を書いていた。こんな内容の手紙を送っても、祖母が読んだら心配するだけだろう。


 でもほかに、自分の思いをぶつけられる人も場所もないのだ。



 コンコン、と、部屋のドアを叩く音が聞こえた。ユウイはノートを机の引き出しにしまいこみ、ベッドの中にすべりこんだ。



「ユウイ、入るわよ。いるわよね?」



 ガチャリとドアの開く音が聞こえて、部屋に母が入ってきたのをかぶっていた毛布の隙間から確認すると、ユウイは芋虫のように毛布にくるまって動きを止めた。



「ユウイ。起きているんでしょう? いいかげん部屋から出て、外で遊びなさい」



 母の呼びかけに答えず、ユウイは芋虫状態で静かな抵抗を見せた。母はそんなユウイを毛布ごと抱え、それから毛布の両端をつかんでユウイを床に転がした。


 ごろり、と一回転して床へと放り出された芋虫ユウイは、羽化前の蝶のようにどろどろな気持ちで床に転がることになった。羽化して蝶になり優雅に羽ばたくつもりなんてみじんもないけれど、無理やり外界に放り出されることには不満がある。ユウイは抗議のため、おもいきり頬を膨らませた。



「いいこと? この街に来てもう一ヶ月経つのだから、いいかげんお友だちを作りなさい。ひとりで家にいるのは、今日でおしまい! さあ、朝ご飯を食べて早く外に行きなさい!」



 ユウイは返事をせず頬を膨らませたままそっぽを向いた。母はそんなユウイにかまうことなく、そのまま毛布を抱えて部屋を出て行った。



 そんな母の背に、ユウイはおもいきり舌を出した。それから、椅子の上に置いていたクマのぬいぐるみのファスナーをおろし、机の上の小さな宝石箱から飴を二つ取り出して背中につめ、さらにノートに書いた祖母への手紙をつめた。


 このクマのぬいぐるみは祖母が作ってくれたものだ。背負えるように肩ひもがついていて、リュックになる。


 そんなクマのぬいぐるみリュックを抱きしめて、ユウイは部屋を出て階段を下り、台所に向かった。そこでクマを椅子に座らせ、自分は冷蔵庫から卵をひとつ取りだした。


 この街に来てから自分で朝食を作るようになったが、一向に目玉焼きがうまく焼けない。まず卵がうまく割れないので、黄身がいつもつぶれてしまう。お皿の上の目玉焼きは、自分の心と同じでぐしゃぐしゃだ。


 母はユウイの毛布を外に干すと、仕事に行く支度を始めた。ユウイは食べ終わった皿を洗いながら(ママが出かけたらまた部屋に戻ろう)と考えていた。



「言っておきますけど、ママが出かけたら部屋に戻ろうなんて考えは捨てなさい。そうだ、夕食のパンをパン屋さんで買ってきてちょうだい。カルペディエムってお店、前に一度連れて行ってるからわかるわよね? あと、大通りの路地裏は立ち入り禁止だから入っちゃだめよ。危ないからね」



 そう言って銀貨と銅貨を数枚テーブルに置き、玄関を後にする母に背中に、ユウイは思いきり舌を出した。


 食器を洗い終えると、ユウイはため息をつきながらクマに硬貨をしまって背負った。なんだかいつもよりずっとクマに重さを感じる。


 ゆっくり、玄関のドアをひらく。季節はもう秋だというのに、日差しがまだ少し強くて目がくらんだ。


 玄関の鍵をしめて、ユウイはとぼとぼ大通りに向かって歩き始めた。行きかう人たちの目に留まらぬよう、歩道の端を速足で歩く。


 どうしてだろう? 何も悪いことなんてしていないのに。こんな風にこそこそする必要なんてないのに。


 この街に来てから、どこかおかしい自分がいる。今まで人が怖いなんて、思ったことはない。けれど最近では、行きかう人々が自分を見て笑ったり、怒ったりしているように感じてしまう。


 大通りに出ると、ユウイは人気のない路地裏に入った。隠れるように壁に背を向けしゃがみこみ、背中のクマをおろした。そうしてクマの背中からノートの切れ端に書いた手紙を取りだす。



(おばあちゃん、元気かな? わたしのこと、おこっているのかなぁ?)



 ユウイは手紙をクマの背中に戻して、また背負い立ち上がった。その時ふと、向かいの壁に書かれた文字を見つけた。



「えっと、あくまの、おり……?」



 白いペンキで、乱暴に書かれた文字。一緒に矢印も描かれている。矢印の方向は、まっすぐ路地の奥をさしていた。


 薄暗い路地の先はなんだか不気味で、確かに悪魔やおばけが好みそうだなとユウイは思った。



(そういえば、さいきん絵本でおばけやしきのおはなし、よんだのよ)



 絵本の中のおばけは怖くなかったけれど、実際会うのは嫌だ。ユウイはおばけに追いかけられる自分を想像し、このままじゃ夜眠れなくなってしまうと急いで路地裏を抜け出そうとした。



(ママも、ろじうらはあぶないっていってたもん)



 その時だ。背後で鳥の羽ばたくような音が聞こえた。ユウイは驚き、薄暗い路地裏を振り返る。



 すると、路地裏の上空に白い鳥が飛んでいた。同時に、その白い鳥を突いているカラスも目に入った。



(あれはいったい、なにかしら?)



 カラスに突かれている白い鳥は、その姿かたちが妙だった。首から上がなく、尾がネズミのしっぽのように長い。


 そして羽ばたくたびに、光り輝く鱗粉のようなものを散らしている。


 白い鳥はカラスに羽をむしられ、弱々しく降下していく。そうしてユウイの目に入らないところまで落ちて行ってしまった。


 ユウイは見えなくなった白い鳥が気になったが、薄暗い路地裏に再び入る勇気もなく。そのまま大通りに戻っていった。