「お、お邪魔しまーす」

 ええい。もう、どうにでもなれ!
 いざ、ルカのお家へ出陣!!

「いらっしゃい」

 廊下を通って扉をあけると、ゆったりとしたリビングダイニングがあらわれた。あたたかみのあるフローリング床に、外観と同じく真っ白い壁。ソファやクローゼット等の家具は青系で統一されている。

「すごい……。こんなに広いところに一人で暮らしているんだ」
「ええっ? 広いかなぁ。前に暮らしていたところの十分の一ぐらいの広さしかないけれど」
「そ、そうなんだ」

 さすがは神さま……と遠い目になっていたら、ルカは大きな青いソファに腰かけて、長い足を優雅に組んだ。

「ふー、疲れた疲れた。奈々、ハーブティーを淹れてきてよ。そっちがキッチンで、道具はそろってるから」
「え……? はーぶてぃ?」
「うん? なにお客様面をしているの? 自分の立場を忘れたわけじゃないよね。キミは、ボクの召使いなんだけど」

 にっこりと微笑まれたはずなのに、背筋にゾクゾクと寒気が走った。
 キューピットさま、笑顔がしっかりと黒いです!

「承知いたしましたーっ!」

 でもって、そんなキューピットさまも素敵かも! と、命令されるがままにほいほい従ってしまうわたしもわたしだったりする?

「……この調子なら、刻印つける必要すらなかったかも」

 ちなみに、スマホで調べながらどうにかハーブティーを淹れてあげたにも関わらず、「マズい。淹れ方がなってない。家で練習してから出直してきて」と一蹴されて軽く泣きかけた。

「さて。どこから話をしようかな」

 聞きたいことがありすぎて困ってしまうぐらいだ。
 だけど、一番気になるのは、これからのこと。

「ねえ。わたしは、ルカに彼氏のフリをしてもらう代わりに、なにをすればいいの?」

 ルカが、わたしの淹れた失敗作のハーブティーを口に含む。
 一口飲んであれだけ罵倒していたのに、結局ぜんぶ飲んでくれるなんて何気にやさしい。

「良い質問だね。キミには、ボクの本業を手伝ってもらいたいんだ」

 ルカの本業?
 彼は、恋の神キューピットさまだ。つまり、その本業というのは――

「――恋の縁結びのお手伝いをするってこと?」
「そーゆーこと。察しが良いね」

 おおお! 難しそうだけど、なんだか楽しそうじゃない!?
 ワクワクしてきたわたしとは反対に、ルカは、かったるそうにため息を吐いた。

「人間界で、金の弓矢を使わずに、恋の縁結びをすること。これが、ボクが神界に帰るための条件なんだ。縁結びなんて、弓矢さえ使えれば楽勝なんだけど……今は、肝心の力をゼウスさまに封じられていてね」
「ゼウスさま!? それって、神々の頂点に立つという、あのゼウスさま!?」

 ゼウス。またの名を、ジュピター。
 大地と天空を司る、神々の王。
 ギリシャ神話界のキングオブ神!
 鼻息あらく興奮しはじめたわたしを見て、ルカはゲンナリした顔をした。

「興奮しすぎだから。そんなに、あのムッツリエロ魔神が好きなわけ?」
「エ、エロ!?」

 ムッツリエロ魔神って、そんな、身もふたもない!
 まぁ、たしかにゼウスさまにまつわる恋のエピソードは衝撃的なほどたくさんあるけれど……。
 偉大な神さまなんだけど、たくさんの人間の女の人を好きになったことでも有名なんだよね。
 ゼウス様の妻であるヘラ様は、彼の浮気性に悩まされつづけて、執念深いと言われるようになってしまったほどだ。
 顔を赤くしたわたしに、ルカは遠い目をしながらぼやいた。

「そのゼウスさまのことだよ。ボクは、あの澄ました顔をして本性はドスケベなゼウスさまに神界を追い出されたんだ」
「ルカは一体なにをやらかしたの!?」
「逆だよ。やらかしたんじゃなくて、サボりすぎたの」
「サボり……?」
「そう、縁結びの仕事を放棄していたんだ。そしたら、ゼウスさまに『お前にはキューピットとしての自覚が足りん。人間界で反省してこい』って、問答無用で人間界に堕とされた」

 ほおぉ。
 なるほどねぇ、そういうことだったのかぁ……。

「ルカはいきなり人間界に堕とされちゃって、大変だったんだね」
「ゼウスさまには『自業自得だ』っていわれたけどね。なにせ、十年近くはろくに仕事をしていなかったから」
「十年も……!」

 わぁお。ほとんどわたしの人生と同じ分だけの時間もサボってたんだ!

「まぁ、神にとっては十年なんて、大した期間じゃないけれど」
「なんで、サボっていたの?」
「……ベツに。ボクがいなくても、人間は困らないし」

 そう口にしたルカは、どこかさびしそうな顔をしている気がして。
 思わず身を乗り出して、その両手をぎゅっと握っていた。

「あ、あのねっ! わたしは、ルカに……キューピットさまに会えて、とってもとっても嬉しかった! だからっ、そんなさびしいことを言わないで」

 青い目をまん丸にして、口を半開きにしたルカ。
 それから、慌てて、わたしの手を振り払った。

「あっそ。……キミって、つくづくヘンなやつ。今どき神を信じている人間なんていないのにさ」

 口調はキツかったけれど、その瞳はやわらいでいる気がした。
 ふふっ。ルカが、少しでも元気になってくれたなら、嬉しいな。

「いままでの話をまとめると、ルカが神界に帰るためには、誰かの恋のお手伝いをしなきゃいけないってことだよね?」
「そー。もうつっこまないようにするけど、人間にしては状況の理解がはやいね。助かるけれどさ」
「えっへん。筋金入りの信者をなめてもらっちゃ困ります!」
「うん、キモいね」
「容赦ないっ!」

 ルカは軽くスルーすると、宙に手をかざした。
 すると、そこにいきなり二本の弓矢あらわれた。

「うわぁ……手品みたい!」

 屋上で光があふれ出した時もそうだったけど、何度見ても、不思議な光景!

「手品って……。あんなインチキと一緒にしないでよ」
「ねえっ。もしかして、それが、あの有名な金の弓矢と鉛の弓矢!?」
「うん、鍛治(かじ)の神ヘパイストスさまに作ってもらったんだ。けど、さっきも言った通り、今は神力を封じられているから何の役にも立たない。ボクが恋の成就に協力したとみなされれば、この弓矢が、力をとりもどす」

 たしかに、今のところは、何の変哲もないおもちゃの弓矢に見える。

「そっか。この弓が本来の力を取り戻したら、ルカは神界に帰れるんだね?」
「そーゆーこと」

 かくして、わたしは、彼のキューピット業のお手伝いをすることになったのだ。