「あっ、奈々ちゃ~ん! みんなで、奈々ちゃんのこと待ってたんだよ」
「いやぁ。昨日のド派手な逃亡劇、すごかったねぇ」

 うおお。
 教室に入ろうとするなり、ゆきりんと茜ちゃんに、囲まれちゃった。

「おはよー。あっ! 奈々ってば、昨日すごかったねぇ。天堂くん、情熱的だったなぁ」

 ありさちゃんまで、胸の前に両手を組んで、瞳をきらきらさせてるっ!
 いつメンの三人だけじゃない。
 今や、この会話の注目率は百二十%!
 クラス中の女子がダンボ耳になって、わたしの発言に注目をしているのを肌でピシピシと感じるっ。
 恐るべし、王子さま効果……!

「天堂くんと奈々ちゃんって、どういう関係なの?」

 ゆきりんの問いかけに、みんながカタズをのむ。

「じ、実は……」
「「実は?」」

 ――付き合ってるんだよね~~! えへへ。
 と、勇気を出して口にしようとした、その瞬間。

「あの、通ってもいいかな?」

 振り向けば、そこには、大人しそうなメガネの男の子が立っていた。
 名前は、たしか、ええと……苗字に、水がついていたような?
 彼の表情は、長い前髪と分厚いメガネで隠されていて、まったく分からない。

「あっ。教室の入り口なんかに固まっちゃってごめんね」

 ぺこりと頭を下げれば、メガネくんは丁寧にお辞儀をしかえした。

「ううん。こちらこそ、盛り上がっているところごめんね」

 落ちついている、静かな声。
 メガネくんは、わたしたち四人の間をしゃんと伸びた姿勢で通り抜けていく。そのまま席につくと、早速、いかめしい感じの本を黙々と読みはじめた。

「わぁ。朝から難しそうな本読んでるよ、天才少年はやっぱりちがうねぇ」
「天才少年?」

 首をかしげると、ゆきりんは瞳を輝かせて、生き生きと解説してくれた。

「この前、新聞部の先輩から聞いたんだ~。水谷俊(みずたにしゅん)くん。星一(ほしいち)小時代は、成績、常にオール二重丸! 全国小学生模試でも何度か一位を取るほどの実力だったんだってよ~~!」

 なんと……!
 勉強できそうだな~とは思ったけど、まさか、そんな雲の上の人だったとは!
 でも、どうしてそれほどの天才少年が、うちみたいなふっつーの公立校に?

「へえぇ。もう、そんなウワサが広まっているんだ。まあ、水谷は小学時代から天才で有名だったもんね、ありさ?」

 うんうん、とうなずいている茜ちゃんも、たしか星一小だったはず。
 そして、ありさちゃんも星一小出身者。

「…………」

 けれども、話を振られたありさちゃんは、遠くを見てボンヤリとしていた。

「ありさ?」
「ありさちゃん?」

 心配になってお顔をのぞきこんだら、ようやく、その瞳がわたし達を映しだした。

「あ……ご、ごめん。なんの話だっけ?」

 あれ。
 気のせい、かな。
 ありさちゃんのお顔、なんだかこわばっているような……。
 胸をかすめた疑問は、一時間目の数学の授業の始まりを告げるチャイムに、かき消されてしまった。



 今日の放課後も、天堂くんは、当然のようにわたしの教室までやってきた。

「キュー……ふぎゅっっ!?」

 痛ぁっ!?
 いま、口がわたしの意志と関係なく、勝手に閉じたんだけど!? チャックで閉じられちゃったみたいに!

「もごもごもごもご(なにこれ、しゃべれないよぉ~~)」

 涙目になるわたしに、目の前までやってきた天堂くんはきれいな顔を近づけてきて、こっそりと耳打ちした。

「言っていなかったけど、キミがうっかりボクの正体をバラしそうになったら、口が縫いつけられる仕様にしたから。気をつけてね?」

 ひええ……きらきら笑顔と言葉の闇感との落差がジェットコースター!
 彼は、恐怖の方のドキドキで固まるわたしに向きなおると、やさしく微笑みかけてきた。

「奈々、迎えにきたよ」

 ひゃあ。今日も今日とて、麗しの笑顔! さっきから胸が忙しい!
 しかし、そんな二重の意味でのドキドキも、クラスのみんなのどよめき声にかき消される。

「天堂くん、今日も来てるじゃん!」
「もしかして……ホントに大神さんと付き合ってんの!?」

 一気に広まったコソコソ話に、天堂くんは、正々堂々と言い返した。

「あれ。奈々、まだみんなに言っていなかったの? ボクらが付き合ってるってこと」

 …………。
 世界の時が、止まる。
 まるで、ストップボタンをポチッと押したみたいに。
 そして、数秒後。

「「きゃーーーーーーっ!!!」」
「やっぱり付き合ってるの~!? いつの間にぃ!?!?」
「なんで天堂くんみたいな超絶イケメンが、大神さんなんかと!?」

 ようこそ、阿鼻叫喚の地獄絵図★

「なんでもなにも。ボクが、奈々以外考えられないからだよ」

 って、ちょっとおおー!?
 天堂くん、なにサラリとスゴいこと言ってくれちゃってるの~~!?
 この衝撃発言が、何人もの昇天者を生みだし、さらなる地獄を召喚したことは言うまでもない……。
 彼氏のフリをしてもらえるのはありがたいけど、なにも、ここまで目立つ予定はこれっぽっちもなかった!
 いくらなんでも気合が入りすぎですっ、キューピットさまー!!

「む、胸の動悸がおさまらない……」
「ふうん。ボクが美しすぎて?」
「ま、まぁ、それもそうなんですけど……このドキドキは、どちらかというと、恐怖の方の意味デスカネェ」

 下校途中。
 中学校からだいぶ離れたあたりで、ようやく緊張状態がほどけてきた。代わりに、どっと疲れがおそってくる。

「ってゆーか、キミ、なんでいきなり敬語になってるわけ?」
「え? だって、敬愛するキューピットさま相手に、気安くタメ語を使うわけにはいかないですし」
「却下。気持ち悪いから、今まで通りにして」
「き、気持ち悪い!?」

 薄々気がついていたけど、キューピットさまにはSっ気がある。
 さっくりとハートをえぐる発言をしてくるもんね。

「ついでに、天堂くんっていうのもなしで。ルカって呼んでよ」

 青い瞳に、有無をいわせぬ強い光が宿って、ドキリとする。

「これは命令だよ、奈々」
「わ、分かった。ルカって呼びま……あ、いや。呼ぶね」
「よろしい」

 よくできました、というように頭を撫でられて、顔がじわりと熱くなる。
 ルカ的には、飼い犬を褒めるテンションなんだろうな。
 なんだか、わたしばっかり意識しているみたいで、恥ずかしいや。
 頬の熱を誤魔化すように、話題をかえる。

「そ、そういえばさ! ルカって、どこに住んでいるの? っていうか、そもそも、なんで人間界にいるの?」

 一度、考えはじめると、頭が疑問符で埋めつくされていく。

「あとで説明してあげるよ。あ。ちなみに、もうすぐボクの住んでいるところにつくから」
「えっ!」
「そこだよ」

 長い指のさす方向を見やれば、そこには真っ白い外観に青い玄関扉と三角屋根のおしゃれな一軒家が立っていた。
 周囲のお家と比べて、スタイリッシュで、目立っている。

「なにボケッとつったってんの」
「え」
「ここがボクの家だって言ったでしょ。入ってよ」

 そ、そんな!?
 今日は風が気持ち良いね! ぐらいの軽いテンションで言われても困る!
 自慢じゃないけど、男の子のお家にお邪魔したことなんて、今までの人生で一度もない。それどころか、まだ、ありさちゃんたちのお家にも行ったことがないのに……!
 いきなりハードルが高すぎるよ!

「で、でも、いきなりお邪魔しちゃって大丈夫なの? その、ご家族が、困っちゃうんじゃ……」

 ビビって立ち尽くすわたしに、天堂くんは、さらなるビックリ発言をおみまいしてくれた。

「ご家族は、空の上ですけど? 今は、一人暮らしだよ」

 ひ・と・り・ぐ・ら・し!
 想定外の単語に、再び、口があんぐりとあいちゃう。

「この家は、突然人間界行きが決まったボクのことをあわれんだお母さまが餞別(せんべつ)でくれたの」
「お母さま……ってことは、ヴィーナスさまが? 家って、このお家まるごとぉ!?」
「そうそう。ヴィーナスさまって、過保護なんだよねぇ……」

 はわあ……さっすが神さま方だなぁ。
 やることなすことスケールが超壮大!
 っていうか、これって、いきなりお家で二人きりってことだよね!?