はぁ……。
 今朝は、小学時代の嫌な夢を見ちゃったな。
 今の中学のクラスは、小学時代からの知り合いが少ないから助かってるんだよね。

 ユウウツな気分を引きずったまま授業を受けて、放課後に。
 部活の見学に行くというみんなにバイバイをして、わたしは図書室へとやってきた。
 みんな、わたしの彼氏話を聞きたそうにウズウズとしていて、ちょっと心苦しかったけれど……。
 ニセの彼氏話をでっちあげられる心境じゃなかったんだもん。
 校舎の一階の隅、図書室の中に足を踏みいれる。
 紙の本独特の匂いが鼻いっぱいに広がって、心がふわりと持ちあがった。
 このインクの匂いと本に囲まれた空間、やっぱり好きだなぁ。
 それに、小学校の図書室よりも広い!
 あっ! ギリシャ神話の本も、置いてある。
 もうあんな嫌な思いは二度としたくないけれど……こっそりと、一人で楽しむ分には良いかなぁ。
 ごくりとツバをのみこんで、恐る恐る、その本に手を伸ばした瞬間――誰かと手がぶつかった。

「「あっ」」

 その人の顔を見た瞬間、ごめんなさい! という言葉もひっこんだ。

 太陽の光を溶かしたような、まばゆい金の髪。
 今日の空よりも青く澄んだ、キレイな瞳。
 すべすべの白い顔、はなびらのような唇。
 ブレザーの制服の上からでも分かる、ほっそりとした身体。
 驚いたようにぽかんとしている表情まで、なにもかもが完璧にうつくしい男の子だったんだ。
 だけど、ポカンとしてしまった理由は、それだけじゃない。
 一瞬。
 まばたきをするようなほーんの一瞬の間だったんだけど、その子の肩から、白い翼がはえているように見えたの。
 だから――思わず、口に出ちゃってた。

「神さま……?」

 青い瞳が、びっくりしたように見開かれる。

「えっ?」
「あ、い、いや。な、なななな、なんでもないです!」

 わたしったら、初対面の相手になに口走ってるの!?
 バカバカバカ!
 ぜっったいヘンな子だって思われた~!
 キレイな男の子は、あっけにとられたように大きな瞳をパチパチさせて、首をかしげた。

「ねえ。もしかして、キミも、この本に興味があるの?」

 わぁお……顔だけじゃなくて、声までキレイなんだぁ。
 鈴を転がしたみたいに、透き通っている声。

「おーい。聞こえてる?」
「あ。は、はい!」

 慌ててうなずくと、彼は、じいいっとわたしの顔を見つめてきた。
 えっ?
 な、なに?

「キミの名前を聞いてもいい?」
「い、一年一組の大神奈々です」
「大神さん、よろしくね。ボクは、一年二組の天堂ルカだよ」
「よろしく! ……って、天堂くん!?」

 彼が、ウワサの天堂くんだったんだ!
 たしかに、とんでもなくかっこいい。
 イケメンぶりが只者じゃないっていうか、次元を超えちゃってる。
 みんなが絶賛していた理由が、ようく分かるよ。

「なんで、驚いているの?」
「あ、えと……。二組の天堂くんイケメンだよね、ってみんながウワサしていたから」

 って、すんなり正直に答えちゃったけど、本人に言ってもよかったのかなぁ。
 まぁ、悪いウワサでもないしいっか~!

「ふうん。ま、このボクが美しいのは当然のことだけどね」

 あれ?
 いま、どこからともなく幻聴が聞こえたような……。
 首をかしげているわたしに、天堂くんはとびきり爽やかな笑みを浮かべた。

「そんなことより、キミもこの本に興味があったんでしょ? ボクら、気が合うのかもね」

 とくん。
 心臓が、甘い毒を打たれたみたいに、ドクドクと波うちはじめる。
 ああっ。こんな素敵笑顔を向けられたら、落ちつこうとしたってドキドキしちゃう。顔まであついよ。

「ボク、キミのこと気にいっちゃった。また会いにくるね、大神さん」

 きらきらきらきら。
 天堂くんは、去っていく姿まで神々しかった。
 これがマンガだったら、光のエフェクトが画面いっっぱいに、たっくさん散りばめられていたところだよ。
 恐るべし、王子さま力……!
 夢、じゃないよね?
 思わず、頬をつねってしまう。
 むぎゅ。
 うん、しっかり痛い。
 ひゃあっ。
 わたし、ウワサの天堂くんと会話をしちゃったんだ!
 はわあぁ。
 この世の人とは思えないくらい、かっこいい男の子だったなぁ。



「ねえ、ママっ!」
「あらあら、奈々ちゃんおかえりなさい。おいしいケーキが焼けているわよ」

 リビングのドアをあけたら、甘くて、幸せな香りにつつみこまれた。
 エプロン姿のママが、オーブントースターの前で、にこにこと笑っている。
 ツヤツヤとしたセミロングの黒髪に、もちもちの白いお肌。
 ふりふりのレース付の水色エプロンがよく似合っちゃってる。
 お菓子作りが趣味で、ギリシャ神話に詳しいママはおっとり美人。
 かわいらしい、自慢のママなんだ。

「わあ、おいしそう~!」
「うふふ。そういえば、奈々ちゃん、さっきなにか言いかけなかった?」
「あっ、そうそう!」

 ママに話したかったのは、さっき出会ったばかりの、天堂くんのことだ。
 洗面所で手を洗ってきて、いそいそとリビングテーブルの椅子に腰かける。

「今日ね、とーってもかっこいい男の子に出会ったの!」
「あらあら!」
「その子から、一瞬だけ翼が生えているように見えたんだ」

 白いお皿を手に立ち上がったママは、パチパチとまばたきをしながら固まった。
 あっ……。
 誰かに話したい気持ちがまさって、つい、言っちゃったけど。
 いきなりこんな話を聞かされても、わたしのことを心配しちゃうだけだったよね。

「ご、ごめん。やっぱり、今の忘れて! きっと、わたしの見間違いだよね」

 あははと苦笑したわたしを、ママは、じいっと見つめてきた。

「ねえ、奈々ちゃん」
「うん?」
「その子、もしかしたら、本物の神さまかもしれないよ?」

 ふわり、と。
 心に一陣の風が吹きこんだみたいだった。
 本物の神さま?
 たしかに天堂くんは、不思議なくらいにキレイな男の子だったけど……。

「いやいやいや! やっぱり見間違いだと思うなっ。ママ、悪ノリしすぎ!」

 ママは時々、ウソか本当か分からないようなことを、真剣な顔をして言うところがあるんだよね。

「ふふっ。さあ、冷めちゃう前に、はやく食べましょ」

 ママは、悪戯っ子みたいに笑って、ケーキを差しだした。