『キューピットさまへ? うわっ。なんだよ、このオカルトチックな手紙』
『キューピット? それって、あの天使みたいなやつだっけ』
『さあ、知らねーけど……こんな手紙書くなんて、相当やべーな』

 また、この夢か。
 小学六年生のわたしが、教室に入れず、幽霊みたいに白い顔で立ちつくしている夢。
 あの冬の日は、吐く息が白くなるほど寒かった。
 これは、ただの夢じゃない。
 悪夢のような、本当に起きた出来事なんだ。

 あの頃のわたしは、同じクラスの男の子に恋をしていた。
 相手は、気さくで、サッカーが得意で、笑顔がかわいい(そう)くん。
 爽くんはみんなの人気者だったから、彼に憧れていることを友達に打ち明けるのは、なんだか恥ずかしかった。
 だけど、爽くんと話せるたびにふわふわとする気持ちを、誰かに打ち明けたい気持ちもあったんだ。
 そこで、悩んだわたしは、キューピットさまに恋の相談のお手紙を書くことにした。
 キューピット、またの名をエロス。
 ギリシャ神話の恋の神さま。
 彼なら、金の弓矢を使って、この恋を叶えてくれるかもしれないと思ったんだ。

『今日は、爽くんと一言おはなしできました!』
『聞いてください!! 今日の爽くん、ドッヂボールで大活躍だったんです~~! はあぁ、かっこよかったなぁ』
『なんと、クラスのアイドル、りりちゃんも彼のことが気になっているそうです。爽くんはみんなの人気者だって分かってはいたけど、りりちゃんまで……へこむなぁ』

 お気に入りの羽ペンと天使モチーフの便せん(どっちも世界中を飛び回ってるカメラマン、パパのお土産だよ)を使って、毎日毎日、ウキウキしながらたくさんのお手紙を書いたっけ。
 最初の一文は、必ず『キューピットさまへ』ではじめて。
 嬉しかったことも、悲しかったことも、ぜんぶぜんぶお手紙につづった!
 途中から、恋を叶えてもらえるかどうかは、あんまり気にならなくなっていた。
 だんだん、お手紙を書くこと自体が楽しみになっていたから。
 したためたお手紙は、大事に、自分の部屋の机の中にしまっていた。
 わたしとキューピットさま、二人(正確には一人と神さま?)だけのひみつだったんだ。
 だけど……。
 一度だけ、いつものルールを破って、学校の休み時間にお手紙を書いちゃったんだよね。

 その日は、久しぶりに爽くんと話せた喜びいっぱいで、そわそわと浮かれていたんだ。
 放課後は、日直のお仕事があったから、職員室に日誌を届けに行っていた。
 用事を済ませて、教室に戻ろうとしたその時、中からクラスの男の子たちの声が聞こえてきて――顔から血の気がひいた。
 二人は、なんと、わたしのお手紙の話をしていたんだ。

『キューピットさまへ? なんだよ、この手紙』
『大神ってボーッとしてるとこあるけど、こんなヤバい手紙書くなんて、ガチの不思議ちゃんだったんだな』
『恋の神さま、お願いしますだってよ! バッカじゃねえの? 神さまなんて、いるわけねーじゃんな。マジうけるわ』

 ――神さまなんて、いるわけねーじゃんな。

 パリィン!
 それまで信じていた世界のすべてが、粉々に砕け散る音がした。
 大事なお手紙を読まれてしまったことは、たしかにショックだったけれど。なによりも、『神さまなんていない』と断言されたことが悲しかった。
 その日から、わたしの世界は、全てが変わってしまった。

『神さまはいるわ。空の向こうから奈々ちゃんを見守ってくれているのよ』

 ママのあの言葉も、神さまたちの物語も、ぜんぶウソ。
 ニセモノの作り話だったんだって、気がついてしまったから。
 そうかといって、ママを責める気にもなれなかった。
 ママは、神さまはいるって本気で信じてしまったわたしを守るためにウソを吐くしかなかったんだと思うから。
 そんなことも分からずに、バカみたいに全てを信じていたわたしのせい。
 フツウの子は、神さまなんて信じていない。
 神さまを信じていたわたしが、ヘンな子だった。
 現実を知ってしまったわたしは、それまでキューピットさまに向けて書いたお手紙を全部ママに処分してもらった。
 心が千切られたように痛んだけど、そのぐらい思いきらなきゃ、決意が揺らいじゃうと思ったから。
 それからは、また教室のどこかで誰かに陰口を言われているんじゃないかと恐ろしくなって、うつむきがちになった。
 そのうちに、いつの間にか、爽くんへの恋心も消えてしまったんだよね。
 わたしの初恋は、間違えて飲んじゃったパパのコーヒーみたいに苦い味で終わったんだ。