ママと焼きたてのクッキーをつまみながら、ゆっくりとお話した翌日の朝。
 一か月以上ぶりの、登校日だ。
 久しぶりにみんなと顔を合わせられて嬉しい。
 だけど、今のわたしは、浮かれてばかりでもいられない。
 今朝のママの助言で、やってみようって決めたことがあるんだ。
 休み時間になり、わたしはスクールバッグから、羽ペンと天使モチーフの便せんを取り出した。

『奈々ちゃん。ママも一晩考えてみたんだけれど、もう一度、キューピットさまにお手紙を書いてみない?』

 このペンと便せんを手にするのは、小学生ぶりだ。
 ずっと目に触れないように引き出しの奥にしまっていたから、ホコリかぶっちゃってたよ。
 もう二度と、キューピットさまへの手紙を書くことはないと思ってた。
 このペンと便せんを使うことも、一生ないって。
 だけど今のわたしは、もう一度、奇跡を信じることにしたんだ。
 本当は、自分のお部屋で、誰にもジャマされずにゆっくりと書きたかったけど、一度やると決めたらいてもたってもいられなくなって。
 一刻も早く、手紙を完成させたくなったの。

「奈々ちゃん、休み時間中、ずーっと机に向かってるね」
「思いつめたような顔をしてるけど……。大丈夫かなぁ」

 久しぶりに『キューピットさまへ』と最初の一文を書いた時、たくさんの感情がこみあげてきて、泣いちゃいそうだった。
 爽くんのことが好きだった時も、こうやってたくさんのお手紙を書いたな。
 本気で信じていたからこそ、苦しい思いをしたこともあった。
 だけど、きっと空の上から見守ってくれているって信じていたあの日々は、やっぱりきらきらと輝いていた!
 ねえ、キューピットさま。
 ううん、ルカ。
 今度は、他の誰のためでもなく、ルカに宛ててお手紙を書くね。
 出会ってから、今までのこと。
 わたしは、口は悪いけど、なんだかんだでやさしいルカのことが大好きだってこと。
 神界に帰っても、みんながルカのことを忘れても、わたしだけは一日も忘れなかったこと。
 ねえ。わたしは、このまま、ルカとお別れなんて嫌だな。
 会いたいよ。
 休み時間になるたび、一心不乱に手紙を書きつづけて、給食後のお昼休みの時にようやく完成した。
 やっとできたっ!
 お願い、ルカ。
 神界から、もう一度、わたしの手紙を読んで。
 ありったけの気持ち全てをこめた、大事な大事なお手紙だよ。
 前かがみの姿勢が辛くなって、ぐーっと背伸びをした、次の瞬間。

 窓から吹きこんだ突風に、書き上げたばかりの手紙をとばされしまった。

「あっ! 待って!!」

 慌てて、腕を伸ばしたんだけど、間に合わなくて。

「……キューピットさまへ? 何だよ、これ」

 怪訝な顔で首をかしげながら、わたしの手紙を拾った彼には、これ以上にないぐらい見覚えがあった。

「なんか、こーゆー手紙見覚えあんな。あ、そうだそうだ! 大神だ。え? もしかしてアイツ、中学生にもなってまだキューピットさま信じてんの?」

 呼吸が、止まりそうになる。全身にぞっと鳥肌が立った。
 夢中で手紙を書いていたから、気がついていなかった。
 小学時代に、わたしのことを、嘲笑った彼。
 うちのクラスまで、遊びにきていたんだ。

「さすがに、不思議ちゃんはもう卒業したと思ってたけど。小学時代からなんにも変わってないのな」

 小学時代よりも少し背が伸びた彼は、凶悪な笑顔で、またわたしを笑い者にしようとしていた。

「なんか、ずーっと熱心に書いてるなぁとは思ってたけど……」
「キューピットさまへ……って。ヤバくね?」

 教室に残っているクラスの子たちの、ひそひそ声。
 白けているような冷たい視線に串刺しにされたようで、頭が真っ白になりかける。
 ありさちゃんも、ゆきりんも、茜ちゃんも……どうして良いのか分からないというような困惑顔。
 今この教室に、わたしの味方は、一人もいなかった。

「おい。黙ってないで、なんとか言ったらどーなんだよ」

 ぎゅっと唇をかみしめる。
 怖い。
 逃げちゃいたいぐらい怖いよ。
 今だったら、誤魔化し笑いをして、ギリギリ『フツウ』の女の子を装えるかもしれない。
 だけど……わたし、またウソを吐くの?
 みんなに合わせるためだけに、わたしまで、ルカの存在を否定するの?
 そんなの嫌だ!
 誰も信じていなくても、みんなに笑われても良い。
 ルカを否定するぐらいなら、わたしは『フツウ』じゃなくて良い!!
 震える手をぎゅっと握りしめて、手紙を拾い上げた彼のもとに近づいていく。
 気がぬけたら今にも涙がこぼれ出そうだけど、ガマンだ。
 ありったけの力をこめて、目の前の彼を睨みつける。

「なんだよ、その目」
「手紙、返して! 大事なものなの」
「こんなの要らねーから返すよ。っつーか、なに本気になっちゃってんの? マジで気持ち悪ぃんだけど」

 言葉の嵐に吹き飛ばされちゃいそうだけど、なんとか歯を食いしばる。
 だって、決めたから。
 みんなにも自分にも、もう、ウソを吐かないって決めたから!
 わたしは突き返された手紙を受け取ると、もう手離さないようにしっかりと胸に抱いた。

「そうだよ。わたしは、神さまを信じてる。神さまたちは、空の上からみんなを見守ってくれているんだよ」

 得体のしれないものを見るような目にも、負けない。

「みんなが信じられなくても良い。本気で信じてるなんて『ヘン』だって思われても良い。それでも……わたしは、信じるのをやめないからっ!!」

 ああ、また泣いちゃった。
 こらえきれなかったな。
 誰も言葉を出せず、休み時間中とは思えないほど、堅苦しい沈黙が落ちた次の瞬間だった。
 突然、教室中がまばゆい光に包まれた。

「うわっ!?」
「なんだよこれ!」

 光はあっという間に学校全体を飲みこむように大きくなって、誰もがまぶしさから逃れようと目を腕でおおった。
 そうしたら、暗闇の中で、聞こえてきたんだ。

「みんなの前で、あんな宣言をするなんて、キミってホントにバカ」

 その懐かしい声に、今度こそ、涙が止まらなくなった。

「でも……たった一人きりで、忘れないでいてくれてありがとう。ゼウスさまの力にも負けないぐらい、大切に思っていてくれてありがとう。一人でよく頑張ったね」

 ハッと目を見開けば。
 目の前に、ルカがいた。
 彼はやさしい顔をしながら、わたしの涙を、そっとぬぐってくれた。

「ただいま、奈々。ずいぶんと待たせて、ごめんね」
「ルカ……っ」

 あたたかい。
 本物のルカだ!
 ルカが、帰ってきたんだ!!

「ルカっっ!!」

 感極まって抱きついたら、ルカはぎょっとしたように身をよじったけど、受け入れてくれた。
 触れる。あったかくて安心する。
 幻じゃない……!

「ひゅーひゅー。奈々と天堂くんは相変わらずラーブラブだなぁ」
「おーーい、みんなぁ! バカップルが教室で抱き合ってんぞ~~!!」

 あれ。
 あれれれれ!?
 みんな、ルカのことを思い出してる!
 ってゆーか、わたしたち、めっちゃくちゃ注目されてる!?
 はわわわわ!
 感動の再会で、ダイタンなことしちゃった!!
 慌てて、ルカから離れようとしたけれど、強い力で引きもどされた!?

「そーだよ。ボクらは、世界をまたぐような恋をしちゃうほどラブラブなの! だから、万が一にも、誰かがボクの奈々をいじめるようなことがあったら、この学校ごと吹き飛ばすからね!」