「ねえ、ルカっ。ありさちゃんと水谷くん、お付きあいすることになったってよ!」

 放課後。
 私は、ルカ家で、幸せなカップル誕生の報告をしていた。
 合同ドッヂボール大会が、終わった後。
 もともと身体が強い方ではない水谷くんは、ムリをしたせいか体調を崩しちゃったらしくて、そのまま早退したんだけれど。
 もじもじと赤い顔をしたありさちゃんが、昼休みに屋上前の踊り場で、恥ずかしそうにしながら教えてくれたんだ。
 久しぶりに、二人でゆっくりお話しできたって。

『ずっと……俊に本音を聞くのが、怖かった。やっぱり明燐に行きたかったって言われることを、恐れてたの。でもね……俊は、ハッキリと言いきってくれた。推薦を蹴ったのは僕自身の意志で、後悔したことは一度もないって』

 明燐に行かなかったのは、水谷くん自身が、ありさちゃんの傍にいたかったからだったんだって。たとえありさちゃんの王子さまにはなれなかったとしても、離れてしまうのは、水谷くん自身も嫌だったみたい。
 その時に、彼は、昔に『魔法使い』になりたいと言っていた真意も教えてくれたんだそう。

『ねえ、ありさ。昔にシンデレラの絵本を一緒に読んだことを覚えてる? 僕はね、あのお話を最初に読んだときから、魔法使いになりたいと思ってた』

 なんで? と首をかしげたありさちゃんに、水谷くんはにっこりと笑ったんだ。

『最後にシンデレラを迎えにいくのは王子さまだけれど、舞踏会に行けなくて困っているシンデレラの前にさっと現れて先に助けてあげるのは、魔法使いの方でしょう? 僕も、ありさが困っている時は、誰よりも早く気がついて駆けつけるヒーローでありたかったんだよ』

 まぁ、天堂くんのボールを受け止めきれずに負傷して、体調まで崩しちゃうようなかっこ悪いありさまなんだけどね……と苦笑いした水谷くんに、ありさちゃんは嬉し涙が止まらなかったんだって。

『ちゃんと、伝えられたよ。筆箱落としちゃった時、感じ悪くしちゃってごめんねって。あたし、面倒くさくて、重たいけど……俊のこと本当に大好きだからって。あたしにとっての王子さまは、ずっと昔から俊だったって!』

 良かった。
 本当に良かった……!
 ゆっくりと、本音を交換しあって。
 二人は、すれ違いを、ちゃんと正せたんだ!
 ついでに、ありさちゃんは、わたしが水谷くんを叱咤激励したことも聞いたそうだ。
 あの瞬間、ずっと封じこめようとしていたありさちゃんへの想いを自覚せざるをえなかった、って。

『ねえ、奈々。また、俊の傍にいられる日がくるなんて思ってもみなかったよ。奈々と、奈々の彼氏は、本当にすごいね。まるで、恋のキューピットみたいだね』

 ありさちゃんはほっぺたを朱色に染めながら、この世のどんな女の子よりも幸せそうな顔で笑ってくれたんだ。

 話を聞き終えたルカも、得意げに唇の端をもちあげている。

「ま、このボクにあれだけのお膳立てをさせておいて、万が一にもくっついていなかったら、あのヘタレメガネの首を絞めにいくところだったけどね」

 ふふっ。口では物騒なことを言っているけれど、なんだかんだで上機嫌そう。
 だんだん、表情だけでどう思っているのか分かるようになってきたな。

「まさか、ルカが全面的に協力してくれるとは思わなかったよ」
「元はといえば、ボクがキミに手伝ってもらっていたんだけどね。立場、逆になってるし」
「そーだけどさ。最初なんて、マンガ読んでばっかりだったじゃん」
「うん。なんてゆーかさ、影響されたんだ」
「影響?」

 首をかしげたわたしのほっぺを、ルカがふにふにとつまんでくる。

「そ。他人のために一生懸命で、啖呵を切るほど頑張れちゃうキミに」

 いつになく無防備に笑ったルカに、ドキドキと心拍数が上がっていく。
 澄んだ青い瞳には、熱に浮かされたように、ルカに見入っているわたしの顔。
 ぼうっと見つめていたら、その瞳が、愛おしいというように細められて――

「ねえ、奈々。キミはいつもボクのことを驚かせてくれるね。神界にいた時から、ずっと気になっていたんだよ」

 ――神界にいた時から?
 言葉も出せずに、心音だけを加速させながら、ルカの言葉に聞き入る。

「キミがボクに宛てて書いていた手紙も、本当は、神界からのぞきこんで全部読んでいた。キミは、ボクら神を本気で信じてくれていたことで、傷ついたこともあったよね。だけど、ボクは……そんなキミに救われていたんだよ。本当は、キミの初恋も叶えようと思えば叶えられたんだけど嫌だった。恋が叶ったら、キミはもうボクに手紙を書く必要がなくなるから」

 心臓が、割れちゃいそうなほど、高鳴る。
 熱い想いがお腹の底からせりあがってきて、涙になって流れ出た。

「わたしの、お手紙……ぜんぶ、読んでくれていたの?」

 ルカは、やさしく頭を撫でてくれながら、困ったように笑った。

「せっかく信じてくれたのに。叶えてあげないダメな神さまでごめんね」

 そんなの、全然、良いよ。
 だってルカは――不本意だったかもしれないけど、人間界にやってきて、わたしと会ってくれた。
 夢を、叶えてくれたんだもの。

「ルカっ」

 感極まって、彼に抱きつこうとした、その瞬間。
 いきなり、空を切り裂くような鋭い雷鳴が響いて、窓の外がピカーンと白一色になった。

「なに!?」

 あまりのまぶしさに目もあけられなくなったら、朗々とした声が部屋中に響きわたった。

「キューピット。思っていたよりも、目的を達成するのが早かったようだな」

 聞く者を絶対服従させるような、威厳ある声。
 隣のルカが、うめくように声をあげた。

「ゼウス、さま……」

 カッと目を見ひらけば。
 目の前に、ドレープがたっぷりとついた服を身にまとった、壮絶に美しい男の人が立っていた。
 月の光を編んで紡いだような、銀の髪。
 深紅の瞳は鮮血のように赤く、見る者を射殺しそうなほどの鋭さだ。
 この世ならざるおぞましいまでの美しさに、一目で、この人は人間じゃないんだって本能的に理解した。
 目の前の彼が、ゼウスさま。
 オリュンポス十二神の頂点に立つ最高神!

「神界で怠惰の限りをむさぼっていたお前のことだ。弓の力を使わずに縁結びを成しとげるのには、もっと時間がかかるかと思っていたが……。力を封じていた弓矢から、たしかな神力を感じ取った。どうやら、本当に目的を達成したらしい」

 ゼウスさまに促されてルカが宙に手をかざせば、あらわれた弓矢は、たしかにまばゆいばかりの金色に輝いていた。
 最初見た時は、おもちゃみたいだったのに!

「……鏡見ありさの恋を、成就させたからだ」

 そっか。
 私たちが、ありさちゃんと水谷くんの恋を叶えたから。
 ルカの働きをみとめたゼウスさまが、神界から迎えにやってきた?
 気がついたとたん、指の先から凍りついていくような心地がした。
 ゼウスさまは、わたしの考えを見透かしたように、重々しくうなずいた。

「合格だ、キューピット。神界に帰ってこい。人間の身体はさぞ不便だっただろう。お腹が空くし、眠くもなる。これに懲りたら、今後はキューピットとしての任務に励むように。よいな」

 ルカの顔が、はっと強張る。

「お待ちください、ゼウスさま!」

 最初から、ルカは、いつかは神界に帰らなきゃいけないって分かっていたのに。
 いざ、その時を目前にしたら、身体全体がみっともなく震える。
 だって、神界に帰っちゃったら、もう、ルカに会えなくなっちゃうんだよね。
 嫌だ!
 そんなの嫌だよ!
 こんなにいきなり、離れ離れになっちゃうなんて、絶対に嫌だ……!

「嫌だっ! お願い、ルカを連れていかないでっ!!」
「待たぬ!」

 わたしの叫びを一刀両断するような、絶対的な拒絶。
 ゼウスさまは、同じ場にいるわたしには目もくれず、底冷えする冬のように冷たい声で告げた。

「キューピット。私は、忙しい身なんだ。これ以上、人間界にとどまっている時間はない。話があるなら、神界に帰ってから聞く」

 ゼウスさまが、呆然とするルカの手を強引につかむと。
 次の瞬間、また視界がフラッシュアウトした。
 あまりの鮮烈な光に、目もあけていられないっ。

「奈々っ!」

 ちかちかとする視界の中で聞こえてきたのは、今までで聞いたこともないほど焦ったようなルカの声。

「ルカ! ルカっっ!」

 瞳を閉じながら、無我夢中で、名前を呼んだけれど。
 ようやくまぶしさがおさまって、やっと目を開けるようになった時には、最初から誰もいなかったように、ゼウスさまとルカの姿が消えていた。
 さっきまでの騒がしさがウソだったみたいな静けさに、涙がぽろぽろとあふれでてきた。
 ああ……。
 本当に、神界に帰っちゃったんだ。