しとしとと、細い雨が降りしきる道を、ルカと肩を並べて歩く。
 天気予報も見ずに家を飛び出して傘を忘れてきちゃったわたしに、ルカは、『ボクより長く人間界で暮らしているくせに、そんな愚行をおかしたの? 仕方ないなぁ……』と余計な一言を添えながらも、自分の傘にいれてくれた。
 これは……相合傘!
 一人で入るには充分だけれど、二人で入るには、少しだけ狭いビニール傘。
 さっき抱きしめられたときよりは遠い距離だけれど、肩と肩がときおり触れ合うこの絶妙な距離にも、無性にドキドキとする。

「傘、入れてくれてありがとう。ルカがいてくれて助かったよ」
「べつに。……そういえば、お疲れさま」
「へ?」
「鏡見ありさのこと。ようやく、本音を聞きだせたね」

 さああっと。
 世界を包みこむカーテンみたいな雨が降りしきる。

「うん。結局、まだなんの役にも立ってあげられていないけどね」

 ありさちゃんの光る涙を思い出して、しゅんとうつむいたら。
 ルカは、ぽつりと言ったんだ。

「でも、やっとあの子の本当の気持ちが分かった。奈々が、気が進まないと言いながら、勇気を出した成果だ。純粋なキミが悪事に手を染めるのは辛かっただろうに……よく、頑張ったね。えらかったよ」

 いつになくやさしい眼差しで、甘やかすように言うから。
 心のやわらかい部分にしみこんで、また泣きそうになっちゃった。
 ルカは、ズルい。
 こういう時にかぎって、わたしが欲しい言葉をくれるんだもん。

「彼女のために必死に頑張っている奈々を見ていたらさ、なんだか仕事熱心だったときの自分を思い出した」

 ちらりと盗み見たルカの横顔は、どこか憂いを帯びていて。
 細い雨が二人を世界から隠している今なら、聞ける気がしたんだ。

「ねえ、ルカ。わたし、ルカのことなんにも知らないね」

 実は本物の神さまで、仕事をサボっていたから人間界に堕とされちゃったこと以外、なんにも知らない。
 ルカは、どうして仕事熱心だったのに、サボるようになったんだろう。

「お願い、ルカ。わたし、ルカ自身のことを知りたい。教えてほしい」

 ハッキリと口にしたら、それまで引き結んでいたルカの唇がふっとほころんだ。

「召使いの分際で生意気だって言おうと思ったけど……良いよ。気が向いたから、トクベツにボクのことを教えてあげる」

 言葉はゾンザイなのに、ルカがやさしく笑うから、なんだか胸がぎゅっとしめつけられた。

「ボクは、三十代目のキューピットなんだ」
「三十代目!?」

 ええっ!
 キューピットさまって、そんなに代替わりしていたの!?

「うん。神の命も、永遠ではないんだよ。人に比べたらずうっと長いけれど、限りのあるものなんだ。ボクの命が尽きると、新たなキューピットが生まれてくる。そうやって、神界の秩序は保たれているんだ」
「そうだったんだ……!」

 てっきり、神話の時代からずっと生きてきたんだと思いこんでいたけど、そういうわけじゃないんだ。
 ということは、もしかして……!

「キューピットとプシュケの恋の神話も、ルカ自身の話じゃないってこと?」
「はっ。このボクがあんな愚行をおかすわけがないでしょ。あれは、何代も前のキューピットがやらかした話だよ」
「そうだったんだ!」

 不機嫌そうに唇をとがらせるルカに、こっそりとニッコリしちゃう。
 じゃあ、ルカ自身が、プシュケさまと愛しあっているわけではないんだね。
 あれ。
 なんで、こんなにホッとしているんだろう……?

「こう見えてボクも、生まれたばかりのころは、やる気に満ちていたんだよ。恋の神さまらしく、人間たちを幸せな恋に導かなきゃって、ちゃんと思っていた」
「……ベッドの上でぐーたらマンガを読んでいたルカからは、想像もつかないね」
「だんだん、必死に頑張るのが、バカらしくなってしまったんだ。人間たちは、ボクのことなんて全く必要としていないんだもの」

 きっぱりと言いきった彼に、ズキリと胸が痛んだ。
 そう話したルカは、微笑んでいるのに、今にも泣きそうな顔をしているように見えた。

「何千年も昔は、誰もが空を見上げて、神に祈る時代だった。でも、現代では誰も空を見上げなくなったし、ボクら神々の存在を信じてもいない」

 頭の中で、悲しい記憶がよみがえる。

『恋の神さま、お願いしますだってよ! バッカじゃねえの? 神さまなんて、いるわけねーじゃんな。マジうけるわ』

 いつも強気なルカが、守ってあげたいと思うほど弱気な顔をしている。
 それなのに、そんなことない! とは言ってあげられなかった。

「人間は、ボクが金の弓矢を放たなくても、勝手に恋をする。人々は神を必要としていない。そう思ったら、仕事をするのもバカらしくなった」

 しゅんとうつむいたわたしに、青い瞳が向けられる。

「だけどね。そんなご時世で、疑うこともなくバカみたいに神を信じている珍しい人間を見つけたんだよ」

 ドキリ。
 その澄んだ瞳は、ぽかんとするわたしだけを映しだしていた。

「正直、最初は呆れていた。だけど、ボクは、間違いなくその子に救われていた」
「ねえ、もしかして――」

 そのバカな人間って、わたしのこと?
 喉まで出かかった言葉は、通りかかった車が跳ねとばした水しぶきの音にかき消されてしまって。
 その後は、いくら聞いても、はぐらかされちゃって教えてくれなかった。