演劇部の子たちに連れていかれたありさちゃんを見送ってから、昇降口にたどりついたら、外はしとしとと細い雨が降りつづいていた。
 わたしの心も、今日の空みたいに、分厚い雲がおおっている。
 ありさちゃんの本音を聞けたのは嬉しかったけれど、結局、まだ何の役にもたってあげられていない。
 靴箱へと向かっていたら、サッカー部のユニフォームを着た男の子とすれちがった。
 雨に濡れないように、校舎の外から急いで走ってきたみたい。
 こげ茶色のツンツンと尖った髪、小麦色に日焼けしたカモシカみたいな手足。
 なんだか、見覚えがあるような……。
 わたしの視線に気がついた彼が、子犬みたいにつぶらな瞳を向けてくる。

「あれ。もしかして、大神?」

 やっぱり。

「爽くん。久しぶりだね」

 中学校に入ってからは会っていなかったけど、小学時代からまったく変わっていないな。
 爽くん。
 わたしの、コーヒーみたいに苦い、初恋の相手。

「大神は一組だっけ? 俺、四組! 中学は人数が多くて、クラスが違うと全然会わないのな」
「う、うん」

 屈託のない笑顔で気さくに話しかけてくる爽くんは、もしかすると、いまだに知らないのかもしれない。
 わたしが、爽くんに片想いをしていたこと。
 キューピットさま――今にして思えばルカに宛てて、一生懸命にその想いをつづっていたこと、クラスメイトたちに笑い者にされていたこと。
 それとも、全部知っているけど、触れないようにしてくれているだけ?
 急に、お腹の底から身体に悪いような寒気がしてきた。
 ドクドクと、心臓が追い立てられるように走りだす。

「そーいえばさ」

 なにを、言われるんだろう。
 後ずさって、身がまえる。

「クラスの女子がウワサしてたんだけど、大神って、あの天堂とマジで付き合ってんの?」
「え……?」

 予想外の質問に、目が点になる。

「ウワサの王子が、大神と付き合ってるらしいって聞いて、超意外だったんだけど~! つーかさ、ぶっちゃけ、うまくいってんの?」
「な、なんで、そんなことを聞くの?」

 困惑して首をかしげると、爽くんはやれやれとため息をついた。

「考えてもみろよ、あんだけの奇跡的なイケメンだぞ? にも関わらず、入学早々、大神みたいなフツーの子に告って、一途に誠実なお付き合いをするなんてど~考えてもおかしいじゃん。なーんか、裏があると思うんだよなぁ」

 うっ。
 だいぶ失礼なことを言われている気もするけど、的を得ているだけに言いかえしづらい! というか、実際、爽くんの想像している通り、バリバリに裏があるもんね……。
 だけど、本当は神さまとその召使いなんです! なーんて打ち明けるわけにもいかないよっ。

「う、裏なんてないよっ。ル、ルカは、ちゃんとわたしのこと、す、すすす、好きでいてくれてるしっ」

 自分で自分の言い訳に照れてしまって、顔を真っ赤にしていたら、突然、背後から腕をひっぱられて――

「そーそ、裏なんてないよ」

 ――気がつけば、ルカの腕の中にすっぽりとおさまっていた。
 背中から伝わってくる、やさしい温もり。ブレザーの制服越しに伝わる、二つ分の鼓動の音。爽やかな香り。

「爽くん、だっけ? 勝手にボクの彼女をいじめないでくれる? 奈々を困らせていいのはボクだけなんだけど」

 背後から、抱きしめられてる!?
 かつてない距離の近さ!!
 とたん、心臓が赤いマントに興奮した闘牛なみに暴れだす。
 爽くんも、細い瞳をこぼれちゃいそうなほど開いて、アゼンとした表情。
 だけど、すぐに噴出したように笑った。

「ふふっ。あはは!」
「なにがおかしいわけ?」
「いや? 超イケメンだし、勝手にスカしてんのかと思ってたけど、意外と独占欲強いのな!」
「はあ!? 違うし! そーゆーのじゃないし! 大体、この子は、ボクのめし――」
「そ、そそそそ、そうなの! ルカってば、わたしのことが好きすぎて、時々困っちゃうぐらいなんだよっ」
【ちょっと! キミまで、なにを言い出すの!?】

 頭の中ではじけたルカの怒号に、思わず、現実世界で耳をふさぎそうになる。
 だってさ、さっき、明らかに召使いって言いかけたじゃん!
 ルカはただでさえ注目されてるんだから、ちょっとした発言にも気をつけないとダメだよ! 学校中の子たちから、ヤバい人認定されちゃうよ!?

【……あー、もうっ。仕方ないな、そーゆーことにしてあげるよ】

 心の中で一生懸命うったえると、ルカは、しぶしぶ納得してくれたらしい。

「疑って悪かったよ。二人が熱烈にラブラブだってこと、よーく伝わったわ」

 ね、熱烈にラブラブ!?
 またもや衝撃を受けたわたしとは違って、今度のルカは動じていなかった。ぎゅっとわたしを抱きしめながら、爽くんに向かって冷ややかに言い返す。

「そーゆーこと。初恋なんてとっっっくに色褪せちゃうほど、奈々は、ボクにメロメロなの!」
「初恋? なんかよく分かんねーけど、覚えとくよ」

 爽くんはケタケタと笑いながら、「んじゃ、そろそろ部活に戻るわー!」と軽快に去っていった。
 下駄箱前に残されたわたしたちの距離は、相変わらず、近いまま。
 ルカが、お気に入りのぬいぐるみを取られたくない子供みたいに、離してくれないから……。

「あ、あの……」
「なに」
「ええっと……い、いつまで、くっついているのかなぁって」

 恥ずかしさのあまり、へらりとごまかし笑いをしたら、ルカは光速でわたしから飛びのいて離れた。