「さて。奈々は、どこまであの二人のことを知っているの?」

 二人きりで話せるように、茜ちゃんと、学校からすぐ近くの小さな公園までやってきた。
 最近は梅雨入りして雨続きだったけれど、今日は、久しぶりに晴れていて良かったな。
 茜ちゃんが、青色のブランコにひょいっと飛び乗り、立ちこぎしはじめる。
 わたしも、あいていた隣のブランコに腰かけた。

「実は、そんなに詳しいわけではないの。ただ、ちょっと前に、ありさちゃんが授業中に筆箱を落としちゃったことがあったでしょ?」
「ああ、あったねぇ……拾おうとした水谷に『触らないで!』ってぶちぎれた事件でしょ?」
「う、うん。わたしね、ありさちゃんは、理由もなく人を傷つけるような子じゃないって思ってる。過ごした時間は短いけど、ゼッタイそうだって信じてるの。だから、きっと、二人の間にはなにかあったんだって気になっていて」

 話せる限りでの真実を口にすると、茜ちゃんは風をきりながら、口元に笑みをのせた。

「うん。ありさは、良い子だよ。小学時代から友達のアタシが保証する」

 茜ちゃんの力強い肯定に、胸がほわりとあたたまる。

「ありさと水谷はさ、幼馴染なんだよ。家が隣同士で、なんと、お互いの部屋の窓から会話ができちゃう距離なんだって」

 思いがけない新情報に、目が飛び出そうになる。
 二人が幼馴染!?
 しかも、窓から会話って……!
 まるで少女マンガみたいなんだけど!?
 あんぐりと口をあけたわたしに、茜ちゃんは快活に笑った。

「ははっ、良い反応だね。そんな奈々に、もーっとビックリしそうなことを教えてあげるよ。二人は、小学六年生のある時までは毎日一緒に登下校していた仲なんだ」
「えええええ!? そんなに仲がよかったの!?」
「うん。アタシは、あの二人ってお似合いだなぁって思ってたよ」
「お、お似合い……かぁ」

 お姫さまのありさちゃんに、ビン底メガネの水谷くん。
 ううーん……正直、お似合いかといわれると、首をひねってしまう。

「お似合いではない、って顔してる」
「うっ」
「ふふっ。奈々はウソが吐けないタイプだね。水谷はさ、今でこそTHEメガネキャラだけど、元々はあんなヘンなメガネもかけていなかったんだよ」
「そうだったんだ……!」

 またもや新事実。
 勉強のしすぎで、目が悪くなったのかな。
 それにしても、一体、どんな顔をしているんだろう? 気になるなぁ。

「アタシは、てっきり、二人が付き合うのも時間の問題だと思っていたんだけど……ある時から、なーんか急によそよそしくなりはじめてさ。中学に入ってからは、奈々も見ての通り。互いに他人みたいに振舞ってる。さすがに心配になって、ありさに理由を聞こうとしたんだけど、『茜には関係ない』って一刀両断されちゃったんだ」
「そうだったんだぁ……」

 茜ちゃんはブランコを漕ぐのをやめると、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。

「奈々、ありさのことを心配してくれてありがとう。ありさは、ああ見えて、すごく不器用な子だと思うんだ。小学時代のことをよく知られているアタシより、むしろ中学で知り合ったばかりの奈々にこそ打ち明けられることもあるのかもしれない。気にかかるなら、できる限り、力になってあげて」



 茜ちゃんから激励を受けたものの、状況は、依然としてかわらず……。
【奈々。少しずつ事情が分かってきたけれど、これ以上のことは、本人に聞かないと分からないよ。進めようもないと思う】
 そうだよね。
 それは分かっているんだけど……どうしたらいいんだろう。
 ありさちゃん、放課後になると、すぐに部活に向かっちゃうよ。
 声をかけても、『忙しいから』って、相手にしてもらえないし。
【じゃあ、他の手を打とう】
 というと?
【確実に二人きりになれるように、おびきよせる】
 穏やかではない単語に、嫌な予感がした。
【ボクが、ビン底メガネの筆跡を完璧に真似た手紙を作る。それを鏡見ありさの下駄箱に忍ばせよう】
 えぇ~~!? それって、まさかありさちゃんを騙すってこと!?
【うん。押してダメなら叩いてみろ、っていうでしょ?】
 言わないよ! それを言うなら、押してダメなら引いてみろ、でしょ!?
【そうだっけ? まぁ、これまで、正攻法でダメだったんだ。そもそも、こっちはあの子の恋を応援しているんだし、多少ダマされたぐらいのことで文句を言われる筋合いはないよ】
 うーん……。
 あまり気は進まないけれど、他に良い案も思いつかない。
 ルカの悪魔の誘いに乗るしかないのかも……。
【悪魔って、キミねぇ……ボクは神なんだけど?】
 それは、そうだけど。やっていいことと、悪いことがあるよ。
【そうですか、そうですか。じゃあ、キミはこのまま、彼女の恋の応援を諦めるんだね】
 なっ! そうは言ってないでしょ!
【頑なになっている鏡ありさの心を開くには、これまで通りの生易しい方法じゃ通用しないと思うよ】
 そ、そこまで言うなら、わかったよ。わかりました!!
【よろしい。ちなみに先に言っておくけど、さすがのボクでも、全く見たことのないものを再現するのは無理だからね。今の力だと】
 あれ、そうなの……?
【そこで、キミの出番だ。メガネから、筆跡の分かるものを取ってきてほしい】
 そ、そんなぁ~~!?
 今まで一度も話したことないのに、無理だよ!
【そこをどうにかするのが、キミの仕事だよ。鏡見ありさの力になりたいんでしょ?】
 うっ。
【キミならできるよ。奈々】
 突然、やさしい声で名前を呼ばれて、こんな時なのにドキッとしちゃう。
【そ、そうかな?】
 脳裏に、ルカのきれいな笑顔が浮かんできて、なんだか頭もぽやーっとしてきて……、
【うん。なにせ、キミレベルでも達成できそうな低級ミッションだし】
 …………。
 わたしの一瞬のときめきを返せ~~っ!!

「み、水谷くんっ!!」

 ルカから任務を与えられたわたしは、次の休み時間になるや、水谷くんの机へと駆けつけた。
 どうせ、やらなきゃいけないんだ。
 面倒ごとは早く終わらせるに限る!

「ん? 大神さん?」

 不思議そうに、わたしのことを見上げてくる水谷くん。
 そして――背後から感じる、じとりと這うような視線。

「み、水谷くんって、本当に頭が良いんだね! この前の数学の小テストでも満点だったしすごすぎるよ!!」
「はぁ」

 水谷くんは、相変わらず、まっったく表情が読み取れない。
 分厚いレンズに、緊張した顔のわたしが映りこむ。

「実は、そんな水谷くんにお願いがありまして……」
「お願い?」
「わたしに、数学のノートを貸してもらえないかな!?」

 しーん。
 奇妙な間があいたあと、彼は穏やかに首をかしげた。

「ええと、どうして?」

 で・す・よ・ね★
 誰もが抱くまっとうな疑問だ。

「わたし、勉強あんまり得意じゃないからさっ。特に数学が苦手で、水谷くんのこと本当にすごいなって思ってて……そんな天才の作るノートに、実は、すっごく興味を持っていたの! お願いっ、今日一日だけで良いから貸して!」

 我ながら苦しい言い訳だ、脇の汗がとまらない。
 口の中は、砂漠みたいにからから。
 なにが一番心臓に悪いって……ありさちゃんに、めちゃめちゃ様子をうかがわれていることだ!
 茜ちゃんは茜ちゃんで、こっちを見ながら、『おっ。奈々がなーんか動きはじめたぞ~』って顔でニヤニヤ笑ってるし!
 追いつめられた犯人みたいに辛い気持ちになってきたその時、水谷くんはこくりとうなずいた。

「良いよ。大神さんの期待に答えられるかは分からないけれど」

 ウソ!?

「えええっ!? 本当に!?」
「ふふっ」

 感動のあまり叫んだら、水谷くんはくすくすと笑っていた。

「どうして自分で頼んでおいて、そんなに驚いているの。ヘンな大神さん」
「あ、いや。貸してほしかったのは本当だけど、OKしてもらえる自信はまったくなかったから」
「うーん、そう? 目の前に困っている人がいるのに、断る理由はないと思うけれどね」

 わぁお……なんという聖人君子ぶり。
 水谷くんの背後から、後光が射して見える。
 どこかの鬼畜な神さまに聞かせてやりたいよ。
 ……聞いてほしい時に限って、心を読んでいないんだよね。
 それにしても、そっかぁ。
 こんなに優しい男の子だったら、ありさちゃんや魚住さんが好きになっちゃう気持ちも少しだけ分かるかも。

「な、奈々!」

 ぼんやりしていたら、急に、後ろから制服のスソをひっぱられた。
 振り向けば、どこか強張ったような顔をしたありさちゃん。

「つ、次の授業、家庭科室だよ! そろそろ行かないと遅れちゃうよ!!」

 つっけんどっけんに言い放ち、水谷くんの方には視線もくれず、早足で退散。
 ミルクティー色の髪をふわふわと踊らせながら、返事をする隙もなく、ひゅーっといなくなってしまった。

「ねえ、大神さん」

 ありさちゃんの吸いこまれていった教室のドアの方を見つめながら、水谷くんは、ぽつりとつぶやいた。

「大神さんは、鏡見さんと仲が良いんだね」
「う、うん! ありさちゃんは大切なお友達だよ!」
「そっか」

 水谷くんは、口元にそっと笑みをのせた。

「鏡見さんのこと、これからもよろしくね」

 彼が、いまどんな表情をしているのかは、やっぱり分からなかったけれど。
 その言葉一つに、ありったけの思いがこめられている気がして、なんだか胸がぎゅうっと痛くなったんだ。