スタンピードが発生して今日で6日目。
 銀級数名と白銅級数十名が増員するも、未だ解決の糸口はつかめていない。
 波で発生する魔物の数はさらに増え始め、最近は中級の魔物が出現するのも大分手前になってきたようだ。
 それに伴い、怪我人の数も増加の一途だ。
 救護所は1日中多くの人が出入りしている。

「白銅級3名、戦闘中に洞窟内の汽水湖に落ちてしまい『猛毒ミズグモ』に複数個所噛まれ瀕死の状態です!」

「銅級5名、波で現れた『ミズカベ』に襲われ呼吸停止しています!」

 エリアーナのもとへ運び込まれる人数も、相当数だ。
 休む間もなく大回復魔法を使っている。
 
()れ出た命の欠片よ
 在るべき(ところ)へ逆流せよ ≪大回復(マグ・レクーティオ)≫」

 8名一気に魔法をかけた。
 さすがに疲れる。
 甘いものを食べないとやっていられない。
 バッグの中からキャラメルを出して、ぱくりと食べた。
 これはギルド職員が、回復魔法と引き換えに置いていったお菓子だ。
 チョコだけでなく、他にもいろんなお菓子を持っている。
 いつの間にか、エリアーナのところへ来ると眠気や疲れを取ってくれるという噂がギルド職員に広まり、拒否する理由がないので彼らにも回復魔法をかけた。
 そのうちの一人がお礼にと、お菓子をくれるようになった。
 すると、他の職員たちまでも同じことをした。
 おそらく、自宅にあったお菓子を少しずつ持ってきてくれたのだろう。
 塵も積もれば、というわけで今ではバッグの中には大量にお菓子がある。

(魔法使っているから、体重的には増えていないんだけど、最近肌荒れがひどいかも……。お菓子食べすぎなんだろうな)
 
 新たに取り出したクッキーを平らげながら、そんなことを考えていた。
 そのとき、外が一気に騒がしくなる。
 なんだろうと、入り口を見てみれば、救護所の天幕の中へ何かが大量に入ってきたところだった。
 キィキィ鳴きながら飛びまわっている。

「あれは、水蝙蝠?しかも、すごい数だ」
 
 人はどうにか捕まえようとするし、水蝙蝠は天幕から出られず恐慌状態だし、もう収拾がつかない状態だ。
 どうにかするためにも、エリアーナは咄嗟に魔法を唱えた。

「清らかな霧で 満たし 守護せよ ≪魔除け(リガートム)≫」

 天幕の中を魔物の嫌う霧が漂った。
 清涼さを感じる。
 においはしないが、例えるなら森の香りだ。
 魔物たちは一目散に外へ出て行った。
 
 天幕の外では先ほどより騒ぎの声が大きくなっている気がする。
 おそらく、本部周辺まで魔物がやってきて同じようなことが起きているのだろう。
 波で大量に発生した魔物の処理が、騎士団で間に合っていないのかもしれない。
 水蝙蝠やアワイムは強くないので倒すのは容易いが、あまりに数が多ければ逃げ果せる魔物もいる。
 他の天幕や、本部周辺も魔除け魔法をした方がいいだろう。
 急いで外に出ると、広範囲に魔物除けの霧を出した。
 これで丸一日、このあたりに魔物が近づくことはない。
 
「……オイ、そこの魔法使い」

 後ろから低くて渋い声に呼び止められる。
 振り返ると、筋肉の壁があった。
 いや、違った。
 見上げた先にあったのは、サングラスをかけた筋肉だ。
 それも違うか。
 ギルドでスタンピードの説明をしたギルド長のロックスという人だ。
 ジルコよりもさらに大きい巨体の持ち主だ。
 そんな巨体なのに、この距離になるまで存在に気づけなかった。
 おそらく現役の冒険者だったときは、かなり優秀だったのだろう。
 眉間にしわを寄せ、こちらをガン見してくる。

(……勝手に魔物除けしちゃってまずかったかな)

 まるで野生の熊を前にした気分だ。
 びびりすぎて目が逸らせない。

「水魔法使いか?」

「はい。救護所に回復要員として『朝番』で入っています。
 冒険者になってまだ日の浅い銅級ですが、お力になれればと思い
 勝手に魔除け魔法を使いました。不要でしたらすぐに解除できます」

 できるだけ真剣な顔をして、びくびくしているのがばれないようにする。
 こういうのは悟らせたらだめなのだ。
 野生動物を前に弱みを見せるのは、それすなわち死だと、前世でじーちゃんが言っていた。

「いや、その必要はない。むしろ、助かった。礼を言う。
 これだけ広範囲に、こんな高精度の魔除け魔法を使ったんだ。
 さぞ魔力を消耗しただろう。悪いが魔力回復薬は討伐組にしか渡せん。今日は無理せず町へ戻れ」

 確かに朝から大回復魔法をたくさん使っているので、疲れを感じていないと言えば嘘だが、魔力量的にはまだ余力がある。
 ここで一人、町へ戻るのは気が引けた。
 ジルコやニーナたちは洞窟内でがんばっているのだ。
 自分だけ楽をするのは嫌だった。

「いえ、まだ魔力には余裕があります。
 水魔法以外使えませんし、洞窟内に赴くことはできませんが
 救護所ならお役に立てると思うので、このまま交代の時間までいさせてください」

 そう礼をして後ろに下がったら、岩にぶつかった。
 違う、ロックスの胸筋だった。
 いつの間に移動したのだろう……。
 一瞬で後ろを取られた。
 はっきり言って鳥肌が立つほどびびっている。
 この岩石筋肉は遠くから観賞だけしていたい。
 触れられるほど近くに寄ると、存在感だけで圧し潰されそうだ。

「待て。名は?」

「エリアーナです。あの、本当に無理はしていなくてですね……倒れたりもしませんから、安心して――」

 ロックスがサングラスを外した。
 とても珍しいオッドアイだ。
 右は赤く、左は黒い。

(なんか、黒い目の方から魔力を感じるような……)

 体の内側がぞわぞわする。
 この感覚は、ナインに鑑定魔法を使われたときに似ていた。
 とっさに、自分の魔力を体中に流す。
 すると不快感は消えた。
 おそらく、ロックスの魔力を遮断できたのだろう。

「ほう。鑑定魔法の魔義眼を防ぐとは、さすがだ。でも、一歩遅かったな。
 水の女神の加護を受け、青い髪に名前はエリアーナ。
 朝から回復魔法を使い続け、さらに魔除け魔法を広範囲に使った。
 それなのに、いまだ魔力残量は5000以上。
 つまり、あんたは王都を追い出された『聖女エリアーナ』ってことだ」

 この世界のギルド職員はどうしてこうも個人情報の暴露が好きなのだろう。
 幸い二人の周囲は魔物の襲撃の片づけに忙しく、話を聞いている人はいない。
 でも、誰に聞かれてもおかしくない状況だ。
 そんななかで、自分の過去を勝手に話されるのは気分のいいものではない。

「それを認めたら、今すぐ救護所へ戻れますか?」

 思わず睨みつけてしまう。
 威圧しないだけマシだと思ってもらいたい。

「あぁ、行っていいぞ。ただ、協力して欲しいことがある。
 騎士団とも協議が必要だからな、今日は通常通り救護所へ居てくれ。
 決まり次第、飛紙(とがみ)をやるから本部の天幕へ来い」

 サングラスをかけなおし、不敵に笑うイケオジに今は胸が躍らない。
 何を考えているのかわからない様子に、苛立ちが募るばかりだ。

「協力?……私にできることなら、それは構いません。
 でも、過去のことを吹聴するのはやめてください。
 神殿や王家に冒険者をやっていることを知られ
 何か企んでいると思われたら、私や仲間の身が危ないので……。
 今は本当に何の力もない、ただの庶民なんです。
 どうか、私の過去は胸の内にお納めください」

 そう言って頭を下げた。
 いきなり鑑定してくるようなやつに頭を下げるのは癪だが、これで今まで通りジルコと旅が続けられるなら、いくらでも下げられる。
 自尊心なんて、どうでもいい。
 私には、私のことを分かってくれる、認めてくれる仲間がいる。
 だから、それを守るためならこんなこと何でもない。

「……やめろ。そんなことする必要はない。
 そもそも、誰かに言うつもりもないからな。
 ただ、スタンピードを治めるために、使えるものは何でも使う。
 あんたがソレを持っていそうだから、勝手に鑑定した。
 許可を得ずに行って悪かったな。謝罪する。」

 ロックスが軽く頭を下げた。
 それを見て、驚いてしまう。
 ギルドの長になるような人が、こんな素直に詫びたからだ。
 ……彼はこの状況をどうにか解決できるよう、最善を尽くしている。
 その結果が、無断での鑑定につながってしまった。
 それを知って目くじらを立てていられるほど、エリアーナは身勝手に生きられない。
 
「謝罪を受け入れます。
 ロックスさんも、ただ一生懸命なんですよね。
 何を計画しているかわからないですけど、飛紙が来るのを待ってます。
 騎士団とのお話合い、頑張ってください!」

 そう言って今度こそ救護所へ戻る。
 救護所内は先ほどの魔物の襲撃で転んだり、軽症を負った人々の姿が入り口付近にあった。
 
「みなさん、まとめて回復魔法しますので一緒に奥まで来てください。ちゃっちゃと治していきますよー!」

 今日も交代の時間まで、多くの怪我を治し続けた。
 もちろん、お菓子をつまむ手が止まることはなかった……。