宿泊した町を出て数時間。
 雨が降る前にと、次の町へ向かって明るい森の中の街道を止まることなく進む。
 もちろん、エリアーナは身体強化を常時発動中だ。

「……まずいな。雲が出てきた」

 ジルコが立ち止まり、空を見上げている。
 たしかに、急に空が暗くなり始めていた。

「雨雲を魔法で晴らすこともできますが
 このあたりの人々の生活に係わることなので
 できれば避けたいですね……」

 雨が降らなければ困る人がいる。
 自分の身勝手な理由で、迷惑をかけるのは嫌だった。

「もう少し行けば昨日昼飯食ったような東屋がある。
 そこまで走るぞ。
 身体強化の重ね掛けできるか?」

「やったことないですけど……。
 たぶん、できると思います」

 体の中に巡らせている魔力の出力をあげる。
 すると、足がさらに軽くなるのを感じた。
 ジルコに向けて合図を送ると、獣なのでは?という速さで駆けて行ってしまった。
 慌ててそれを追いかける。
 生まれ変わってから、こうやって全力で走るのは初めてだ。
 前世の自分は毎日こうやって走っていた。
 走り方を思い出しながら、ジルコの後を追った。
 

「チッ、降ってきたな。
 もうすぐそこだ!走り切れ!」

 雨がぽつり、ぽつりと頬に触れたと思ったら、勢いを増し降ってきた。
 季節外れの夕立のような降り方だ。
 足を止めずに東屋へたどり着いた時には、もうすでに手遅れだった。

「うー……さすがにびしょ濡れは寒いですね」

 走るのをやめると一気に寒くなった。
 濡れネズミ状態だ。
 魔法で水だけ飛ばせば乾かせるので、詠唱をしようとした。

「温かな風よ 吹き包め ≪乾燥(カティオス)≫」
 
 温かな緑色の風がエリアーナを包んだ。
 その心地よさに、寒さでこわばっていたか体が緩む。
 風が吹きやむと、髪と服が乾いていた。

「……自分にかけるついでだ」

 先ほどの風はジルコの魔法だったようだ。
 加減が難しい魔法だろうにジルコは完ぺきに使っていた。
 下手な人があれをやると、肌や髪がパサパサになるのだ。

「ありがとうございます!
 ついでだとしても、おかげでもう寒くないです。
 ジルコさん、魔法お得意だったんですね。
 見た目が筋肉だから、繊細な扱いは苦手かと思ってました」

「見た目が筋肉ってなんだよ。……ったく。
 こう見えて、風魔法は上級魔法も使える。
 奴隷商で俺の情報見たんじゃないのか?」

 バンバンが見せてくれた情報を思い出す。
 写し絵は多かったが、身元の説明は大雑把だった気がする。
 
「魔法が使えるかは書いていませんでした。
 元銀級冒険者で元貴族の護衛。
 現在、無期で奴隷罰を受刑中。
 私はジルコさんのこと、これくらいしか知りません」

 ジルコは炉で湯を沸かしている。
 背中を向けているので、顔は見えなかった。

「……アンタはさ、聞かねーの?俺のこと」

 ジルコがポツリとこぼした。
 それは雨音に紛れて消えてしまうのでないかと思うほど、小さな声だった。

「気になんねーの?
 昨日のあいつらが誰なのか、とか。
 何で俺が冒険者やめて護衛になったか、とかさ……」

 そっとジルコの隣に立ち、鍋をのぞき込む。
 お湯はまだ沸いていなかった。

「そりゃあ、気になりますよ。
 だけど、無理に聞くのはいやなんです」

 ジルコを見上げる。
 炉の炎に照らされた瞳は、何を映しているのかわからなかった。
 
「昨日も言ったけど、ジルコさんは私の大事な護衛です。
 大事だから、ちゃんと知りたい。
 ちゃんと、ジルコさんが納得したうえで
 聞かせてほしいんです。
 じゃないと、信頼関係なんて築けないじゃないですか」

「アンタ、馬鹿だろ……」

 ジルコがこちらを向く。
 その顔は苛立っているようだった。

「俺は、アンタの()()なんだよ。
 わかるか?奴隷だ、ど・れ・い!
 人として扱う必要は、ない。
 ただの動く人形!物なんだよ!
 俺は、隷属魔法があるからアンタに従ってるだけ。
 別に、信じたいとも、信じてほしいとも思わない」

 瞳は怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ、いろいろな色で塗り潰されている。
 ……光はどこにもない。
 ジルコが今までどんな経験をしてきたのかわからないが、それらが積み重なり、心を閉ざしてしまったのだろう。

「……正直言って、私もジルコさん自身を
 信じているわけではありません。
 私が()()信じているのは『隷属魔法』です」

 ジルコが蔑むように笑った。
 それに思い切り反発する。
 
「でも、いやなんです!
 それじゃ、今までと何も変わらない。
 人と係ることを避けて、周囲の誤解を解かず
 結局ひとりぼっちになった過去と。
 ……私が誰とも向き合わなかったから
 ちゃんと、知ろうとしなかったから
 こうなってしまったんです!」

 今でも脳裏に焼き付いている。
 エリアーナを見放す人々の目、声、背中。
 たとえ前世を思い出したとしても、それが消えることは絶対になかった。

「私は、生きていかなきゃいけないんです。
 たとえ誰に望まれなくても……。
 生きてやるんです!
 だから、あなたと、ジルコさんと
 ちゃんと係ることから始めさせてください。
 お願いします!」

 目をぎゅっと閉じて、頭を深く下げた。
 目元の涙は袖で拭ってごまかす。
 少しの間を置き、溜息が聞こえた。

「……わかったから、頭を下げるな。
 アンタの頭、安すぎだろ。
 ったく、何度俺に下げれば気が済むんだよ」

 ジルコの声は落ち着いていた。
 ゆっくりと頭をあげる。
 呆れ顔をしていたが、それは馴染みのある顔だった。
 
「アンタがただの能天気じゃない
 ってことはわかった。
 まぁ、ポンコツだけどな。
 ……俺も、ちょっと、いやかなり色々あって
 今はまだ他人を信用できない。
 でも、俺もアンタのことをちゃんと知るよう努力する。
 そのうえで、信じるかどうかを決める。
 ……それでいいか」

 いつの間にか、ジルコの手にはお茶の入ったカップが2つあった。
 それをひとつ、手渡される。

「もちろん!残念ながら、ジルコさんは
 私と長い付き合いになりそうなので
 たーっぷり時間をかけて、吟味してください」

 ジルコのカップに、乾杯のつもりで自分のカップを軽くぶつけた。
 その拍子にお茶がこぼれ、自分の指にかかる。

「あっつ!!」

 カップをテーブルにおいて、急いで回復魔法をかけた。
 大笑いするジルコ。
 それを恨めしそうな目で見つつ、エリアーナもつられて笑うのだった。

 どしゃぶりの雨はいつの間にか止み、空には虹がかかっていた。
 二人がそれに気づくのは、もう少しあと。