「……理。愛理。朝だぞ。起きろ」
 肩を揺さぶられて目を覚ました。
 重い瞼を持ち上げる。
 すると、目の前に千聖くんの顔があった。
 それも、ドアップで!!

「!!!??」
 私は赤面しながら跳ね起きた。
 危うく昨日の二の舞になるところだったけれど、千聖くんはひょいっと身を引いて顔の衝突を防いだ。
「なななななな」
 予期せぬ千聖くんのドアップに、心臓がバクバク音を立てている。

「どーだ。寝起きの顔面ドアップは心臓に悪いだろうが」
 経験者は語る。
 そんなドヤ顔で言って、千聖くんは腰に左手を当てた。

「もう七時半だぞ。起きないと遅刻する」
「……う、うん。起きた。それはもう、ばっちり」
 私はこくこく頷いた。
 冷水を顔に掛けられたような気分だ。
 眠気が丸ごと吹き飛んだ。

「愛理が寝坊なんて珍しいよな。何? もしかしておれのこと考えて眠れなかったとか?」
「……うん」
「えっ」
 冗談で言ったつもりだったらしく、千聖くんの顔が赤くなった。

「だって、予知夢で見ることができてたら、怪我しなくて済んだのに……」
 申し訳なくて、私は俯いた。

「はあ? 昨日ずっとそんなこと考えてたのか? 馬鹿だなあ」
「馬鹿じゃないもん! 私は本気で、真面目に考えてたもん!」
 私は顔を上げて叫んだ。
「怪我した千聖くんなんて見たくないもん! 千聖くんはずっと元気で、笑ってて欲しい……」
 ボロボロと涙がこぼれる。
「千聖くんが怪我したり、泣いたりするのは嫌だ。一番嫌だ。私にとって、千聖くんは一番大事な人なの。千聖くんの悲しい未来を防げないなら、予知夢なんて何の意味もない……」
 ひくっ、としゃくりあげる。

「………………」
 千聖くんは何も言わない。
 気になって顔を上げると、彼の頬はほんのり赤く染まっていた。

「どうしたの?」
「いや……なんか……。うん。気のせいなのかもしれねーから確認させて。愛理って、もしかして、おれのこと、好きだったりする?」
「うん、好き」
「それは、幼馴染として?」
「ううん、一人の男の子として好きなの。大好き」
 目を見つめてきっぱり言うと、千聖くんの顔はたちまち真っ赤になった。

「そ、そう……」
 千聖くんはどこか気まずそうに目を左右に泳がせてから、やがて、意を決したように言った。

「おれも、愛理のことが好きだ」

「えっ?」
 私は驚きに目を見開いた。
 酸欠の金魚のように口をパクパクさせてから、ハッと気づいて口を閉じる。

「あ、そっか。幼馴染としてってことだよね」
「いや、そうじゃなくて。だからっ」
 千聖くんは顔を真っ赤にしたまま、私の目をまっすぐに見つめて言った。

「おれも、愛理のことが好きなんだよ。ただの幼馴染じゃなく、一人の女子として。ずっと前から、愛理のことが好きだった」
「………………ええっ!!?」
 私は今度こそ仰天した。

 千聖くんが私のことを好き!?
 え、嘘、え、ええっ!?

「で、でも、学校じゃ、私のこと、ただの幼馴染だって言ってたよね?」
「しょうがねーだろ。好きだなんて正直に言えるかよ。クラスの連中にからかわれるのは嫌だったし……何より、愛理に拒絶されたくなかったんだ」
「拒絶なんて、そんなことするわけないよ。嬉しいよ。すごく……本当に」
「そっか。なら、もっと早く言えばよかったな」
 千聖くんは照れたように、恥ずかしそうに笑った。

「…………」
 感極まって、私はなんだか泣きそうになり、俯いた。

 千聖くんが、私のことを好きだったなんて。
 それも、ずっと前から?

 どうしよう。
 嬉しくて、嬉しすぎて、胸がいっぱいだ。

 俯いて、もじもじしていると、千聖くんは私の隣に座った。
 そして、私に向かって左手を伸ばす。
 彼の指が、私の濡れた頬にそっと触れる。

「なあ愛理。話を戻すけどさ。予知夢が何の意味もないなんて言うなよ。これまで愛理はおれを含めて何人も助けてきたじゃん。言っただろ、それはすごいことなんだって。愛理はこれまで人知れず、たくさんの人の涙を止めてきたんだよ。そんな頑張り屋の愛理だから、おれは好きになったんだ」
 千聖くんの指が私の頬を優しく擦る。
 その感触がくすぐったくて、私は首を竦めた。

「何の意味もなかった、助けなきゃ良かったなんて言われたら、これまで愛理に協力してきたおれも優夜も、なんか、馬鹿みたいじゃんか。愛理は四年前、優夜が父さんに連れて行かれても良かったのか? 昨日、坂本が怪我をしても良かった? 田沼に優夜が泣かされても良かったのかよ」
「……ううん。嫌だ。優夜くんが泣くなんて嫌だ。坂本くんにも、他の誰にも怪我なんてして欲しくない。ごめん。言い過ぎた」
 謝ると、千聖くんは私の頬に手を添えたまま微笑んだ。
 柔らかい微笑みに、ドキリ、と心臓が跳ねる。

「そうだよ。それでいいんだ。神様じゃねーんだ、おれや誰かの不幸な未来を100%を予知して防ぐなんて無理に決まってる。愛理が予知夢で防げるのはたった1%のことなのかもしれない。助けた人は、その後もっと酷い怪我をすることだってあるかもしれない。でも、それでも、愛理がそのときその人を助けた事実は変わらねーよ。愛理は確実に誰かを救ってるんだ。その人本人と、その人を大事に思う誰かも含めてさ」
「……うん」
「人間だけじゃなくて、動物もな」
 千聖くんは床に寝転がっているジロさんを見て、笑った。

「愛理がいなかったら、ジロさんはここにいない。そうだろ?」
「うん、そうだね」
 ジロさんは半分白目を剥いて、人間みたいに寝息を立てている。
 完全にリラックスしきったその姿を見て、私はつい噴き出した。

「拾ったときは警戒心剥き出しで、しゃーしゃー威嚇しまくって、引っ掻きまくってきた猫が、いまではあの有様だ。愛理は不幸だった猫を一匹救ったんだよ。何度でも言う。それはすごいことだ。猫を助けたいと思う奴はたくさんいるかもしれないけど、実行できる奴はそういないよ」
「うん」
「愛理は猫を助けた。それだけで愛理の予知夢にはものすごい価値がある。予知夢を変えるべく行動した愛理は自分を誇っていいし、誇るべきなんだよ」
「……うん。ありがとう」
 私は新しく流れてきた涙を拭って頷いた。

「千聖くんの怪我は防げなかったけど。これからも誰かが不幸になる予知夢を見たときは、変えられるように頑張るね」
 不幸になった人や動物なんて見たくないし。
 千聖くんが誇れって言ってくれたから。

 だから、私はこれからも頑張りたい。
 千聖くんに誇れる自分でいたい。
 強く、強く、そう思った。

「そうこなくっちゃ。とはいえ、愛理が危ない目に遭うようだったらおれが全力で止めるけどな。不幸になる他人よりも、一番大事なのは愛理だし」
 ぼそっとした呟きは、まさに殺し文句だった。
 私が赤面している間に、千聖くんはベッドの縁から立ち上がった。

「リビングで待ってるから、着替えて来いよ」
「うん、待ってて」
 パタンと扉が閉まり、千聖くんは部屋から出て行った。
 私は急いでパジャマのボタンを外し、用意していた服に袖を通した。