押し開けた扉を手で抑えたまま立ち尽くしている彼には、何の表情もなかった。
待ち合わせしていたことなんかすっかり忘れて、戻って来たら誰か居たみたいな感じ。
「おかえり」
そう言ったのに返事はなくて、彼は私のいる場所から遠い自分の席で荷物をまとめ始めた。
「話があるって言ったの、覚えてる?」
「覚えてるよ」
彼はこっちを一切見ることなく、帰り支度をすませる。
「で。話ってなに?」
冷たい横顔。
友達になれたと思ってたのに、それにすらなれてなかったんだ。
また私は、勝手な勘違いをしてたみたいだ。
「あのスティックね。館山さんの鞄から、取り戻せたの」
大切にしまっておいたものを、彼に差し出す。
天使のくれた魔法のスティック。
これが刺さった人のことを、彼は好きになる。
それなのに私の両手に乗せて差し出したそれは、彼にはまるで見えていないようだった。
「いらない。美羽音にあげる」
「じゃあ捨てていい?」
「なら俺が捨てる」
彼はそれを掴むと、教室の窓に向かって腕を振り上げた。
「ちょっと待って! そんな捨て方しないで!」
彼の腕にしがみつく。
まだ窓の外に投げられてはいない。
「せっかく取り戻せたんだから、そんな乱暴な扱いしないで!」
「このスティックは、誰のものなんだよ」
「坂下くんのだよ! 間違いなく、坂下くんのだから!」
「だったら俺がどうしようと、俺の勝手だろ」
「そうだよ。好きにすればいいじゃない!」
あなたがこの先誰を好きになろうが、どんな人と恋をしようが、全てこの人の自由だ。
「だけどお願い。人の気持ちを、もてあそぶようなことはしないで。自分の気持ちも、同じように大切にして。こんなものに翻弄されちゃってる自分は、自分でもどうかしてると思う。だけど、気持ちに嘘はつけないって分かったから」
スティックは彼の手に握られている。
よかった。
形はどうあれ、ちゃんと渡すことは出来たみたい。
「……。ひとつ美羽音に聞いていい?」
「なに?」
眉一つ動かさない顔が、じっと私を見下ろした。
「これが刺さってさ、本当に効果なかったの?」
「効果は……。あったよ」
それが刺さった瞬間、世界が一瞬で切り替わった。
初めての感情に、胸が震えた。
それまで何とも思わなかったものが、急に愛おしくて可愛くて怖くて恐ろしいものになった。
大切にしたいのに崩れるのが怖くて、近寄ることも出来ないくらい。
「私は坂下くんが好き」
これからもずっと、何があっても、この気持ちは永遠に忘れない。
「好きって気持ちが、こんなに大きいって知らなかった。だからこそ、勝手に押しつけていいものでもないよね。私は私の気持ちを大事にするから、坂下くんも大事にして」
誰かの特別になりたいなんて、どうやってなるのか分からない。
特別にしてくださいってお願いして、なれるものでもないでしょ。
人の気持ちはどうすることも出来ないから、私は自分の気持ちを大事にする。
「好きって信じてもらえなくても、私は好きでいるから。坂下くんが忘れても、私は忘れないでいるね。本当はこんな気持ち、バレずにいれたら一番よかったんだけど。バレちゃったから、ゴメンね」
「いつから俺のこと好きだった? スティックが刺さる前? 刺さった後?」
「それがね、もう私にもよく分からないの。刺さる前からだったような気もするし、そうじゃないような気もしてる。だけど、今は結局好きだと思ってるから、もうどっちでもいいかなって」
「自分でも分からないってこと? 証明できるものは?」
「そんなもの、あるワケないし」
彼のじっとして動かない目が、私を見つめる。
何を言っても、信じてもらえないのかな。
だけど彼にどう思われようと、もう私の気持ちは揺るがない。
スティックのせいでも、せいじゃなくても、坂下くんが好き。
「それを確かめる方法が、一つだけあるんだけど。試してみていい?」
「え? いいけど、どうやって?」
彼の手が私の手を取った。
目の前に持ち上げられた自分の手に、彼が何かを振り下ろす。
「えっ!」
ハートの印がついた、『 を好きになる』スティックが、私の手に突き刺さった。
このスティックが刺さった人のことを、彼は好きになる。
「ちょ、自分で刺してどうすんの!」
「あぁ……。すげーなコレ! うわ~。なんかマジで目がチカチカする! 胸の動悸がヤバい。これ救急車呼んだ方がよくね?」
坂下くんが自分で刺した。
自分が好きになってしまう相手として、私のことを自分で刺した!
「なにやってんの! 頭おかしいんじゃない?」
「なんだよ美羽音。スティックが刺さった瞬間、実はお前もこんな感じだったの?」
ほんのりと紅くなった顔で、彼の指がサラリと私の頬を撫でる。
彼の腕が腰に回った。
低い声が耳元でささやく。
「なんだよ。もっと早くちゃんと好きなら、好きって言ってよ」
誰もいない放課後の教室で、彼はぎゅっと私を抱きしめた。
「こんなことして、ホントに大丈夫だったの? 後悔してない?」
「あのさ。俺がいまどんな状態なのか、一番よく知ってるのはお前なんだけど」
彼の顔が近づいた。
私は彼の背に腕を回すと、ギュッとしがみつく。
そっと近づいた唇が重なって、私たちは恋に落ちた。
【完】
待ち合わせしていたことなんかすっかり忘れて、戻って来たら誰か居たみたいな感じ。
「おかえり」
そう言ったのに返事はなくて、彼は私のいる場所から遠い自分の席で荷物をまとめ始めた。
「話があるって言ったの、覚えてる?」
「覚えてるよ」
彼はこっちを一切見ることなく、帰り支度をすませる。
「で。話ってなに?」
冷たい横顔。
友達になれたと思ってたのに、それにすらなれてなかったんだ。
また私は、勝手な勘違いをしてたみたいだ。
「あのスティックね。館山さんの鞄から、取り戻せたの」
大切にしまっておいたものを、彼に差し出す。
天使のくれた魔法のスティック。
これが刺さった人のことを、彼は好きになる。
それなのに私の両手に乗せて差し出したそれは、彼にはまるで見えていないようだった。
「いらない。美羽音にあげる」
「じゃあ捨てていい?」
「なら俺が捨てる」
彼はそれを掴むと、教室の窓に向かって腕を振り上げた。
「ちょっと待って! そんな捨て方しないで!」
彼の腕にしがみつく。
まだ窓の外に投げられてはいない。
「せっかく取り戻せたんだから、そんな乱暴な扱いしないで!」
「このスティックは、誰のものなんだよ」
「坂下くんのだよ! 間違いなく、坂下くんのだから!」
「だったら俺がどうしようと、俺の勝手だろ」
「そうだよ。好きにすればいいじゃない!」
あなたがこの先誰を好きになろうが、どんな人と恋をしようが、全てこの人の自由だ。
「だけどお願い。人の気持ちを、もてあそぶようなことはしないで。自分の気持ちも、同じように大切にして。こんなものに翻弄されちゃってる自分は、自分でもどうかしてると思う。だけど、気持ちに嘘はつけないって分かったから」
スティックは彼の手に握られている。
よかった。
形はどうあれ、ちゃんと渡すことは出来たみたい。
「……。ひとつ美羽音に聞いていい?」
「なに?」
眉一つ動かさない顔が、じっと私を見下ろした。
「これが刺さってさ、本当に効果なかったの?」
「効果は……。あったよ」
それが刺さった瞬間、世界が一瞬で切り替わった。
初めての感情に、胸が震えた。
それまで何とも思わなかったものが、急に愛おしくて可愛くて怖くて恐ろしいものになった。
大切にしたいのに崩れるのが怖くて、近寄ることも出来ないくらい。
「私は坂下くんが好き」
これからもずっと、何があっても、この気持ちは永遠に忘れない。
「好きって気持ちが、こんなに大きいって知らなかった。だからこそ、勝手に押しつけていいものでもないよね。私は私の気持ちを大事にするから、坂下くんも大事にして」
誰かの特別になりたいなんて、どうやってなるのか分からない。
特別にしてくださいってお願いして、なれるものでもないでしょ。
人の気持ちはどうすることも出来ないから、私は自分の気持ちを大事にする。
「好きって信じてもらえなくても、私は好きでいるから。坂下くんが忘れても、私は忘れないでいるね。本当はこんな気持ち、バレずにいれたら一番よかったんだけど。バレちゃったから、ゴメンね」
「いつから俺のこと好きだった? スティックが刺さる前? 刺さった後?」
「それがね、もう私にもよく分からないの。刺さる前からだったような気もするし、そうじゃないような気もしてる。だけど、今は結局好きだと思ってるから、もうどっちでもいいかなって」
「自分でも分からないってこと? 証明できるものは?」
「そんなもの、あるワケないし」
彼のじっとして動かない目が、私を見つめる。
何を言っても、信じてもらえないのかな。
だけど彼にどう思われようと、もう私の気持ちは揺るがない。
スティックのせいでも、せいじゃなくても、坂下くんが好き。
「それを確かめる方法が、一つだけあるんだけど。試してみていい?」
「え? いいけど、どうやって?」
彼の手が私の手を取った。
目の前に持ち上げられた自分の手に、彼が何かを振り下ろす。
「えっ!」
ハートの印がついた、『 を好きになる』スティックが、私の手に突き刺さった。
このスティックが刺さった人のことを、彼は好きになる。
「ちょ、自分で刺してどうすんの!」
「あぁ……。すげーなコレ! うわ~。なんかマジで目がチカチカする! 胸の動悸がヤバい。これ救急車呼んだ方がよくね?」
坂下くんが自分で刺した。
自分が好きになってしまう相手として、私のことを自分で刺した!
「なにやってんの! 頭おかしいんじゃない?」
「なんだよ美羽音。スティックが刺さった瞬間、実はお前もこんな感じだったの?」
ほんのりと紅くなった顔で、彼の指がサラリと私の頬を撫でる。
彼の腕が腰に回った。
低い声が耳元でささやく。
「なんだよ。もっと早くちゃんと好きなら、好きって言ってよ」
誰もいない放課後の教室で、彼はぎゅっと私を抱きしめた。
「こんなことして、ホントに大丈夫だったの? 後悔してない?」
「あのさ。俺がいまどんな状態なのか、一番よく知ってるのはお前なんだけど」
彼の顔が近づいた。
私は彼の背に腕を回すと、ギュッとしがみつく。
そっと近づいた唇が重なって、私たちは恋に落ちた。
【完】



