「おや? お嬢さん。そんなに見上げて、お気に召しました?」
「ううん。私はいらない。別にこんなのもらわなくても、ちゃんと黙ってるから。持って帰っていいよ」
「えぇ! どうしてですかぁ? 皆さん大変喜ばれますよ」
「いりません。べらべらしゃべったりしないので、さっさと持って帰ってください。逆に欲しくないくらいです」
「えー! だってめちゃくちゃありがたくないですか? こんな便利な道具なのに?」
「マジでいらない」

 私は改めて、見た目は美少年、中身はおっさんな天使を見上げた。

「だって、こんなのウソだもん。こんな道具に頼って好きな人を自分のものにしようなんて、そんなの間違ってる」
「おや。お嬢さんは、好きな人を自分のものにしたいと思ったことがないんですか?」
「そもそも、私に好きな人なんていません。もしいたとしても、そんなの自分でなんとかします」
「はっは~ん。なるほどねぇ!」

 小さな天使はヒラリと空中で一回転すると、自分の鼻先をくっつけんばかりに私に近づけた。
背中の翼をパタパタさせながら、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。

「分かってないなぁ、お嬢さん! あなた、恋したことないでしょ。ダメですよぉー。ちゃんと恋愛しなきゃ」
「そんなの、私の人生に必要ないです。てか、一生無縁なままだと思います」
「ふふん。僕、分かっちゃいましたねぇー。お嬢さんのダメなとこ。皆さん叶わぬ恋のお相手に振り向いてもらおうと、このスティックをお使いになるんですよ。恋の形も人それぞれ。ウソかマコトか、ご自分の目でお確かめくださぁーい!」

 そう言うと、天使は翼マークの付いた『  は』のスティックを掴んだ。
急降下したかと思うと、目にもとまらぬ早業で、それを私の額にブスリと突き刺す。

「ちょっ、何すんのよ!」

 冗談じゃない! 
すぐに抜き取ろうと額に手をかざしたのに、自分ではそのスティックを見ることも触れることも出来ない。

「え。なんで? 消えた?」
「消えたな……」

 一部始終を見ていた坂下くんがつぶやいた。
天使はパタパタと宙に浮かんだまま、ニヤニヤ笑っている。焦っているのは私だけだ。

「ねぇ取って! 今すぐ取ってよ!」
「まぁまぁ。人体に害があるものではないので、そんな心配しなくても大丈夫ですよぉ」
「いいから取って! いますぐ取って! つーか、さっさと取りなさいよ、このバカ天使!」
「おや。皆さん最初はそうおっしゃいますが、案外悪くはないものですよ? 百聞は一見にしかずですぅー」

 空に浮かぶ天使を捕まえようとして思いっきりジャンプしたのに、ひょいと逃げられる。
どれだけ必死になって飛び上がっても、相手は空を飛んでいるのだから捕まえたくでも捕まえられない。

「ふざけないで! さっさとこのスティックを……」

 その瞬間、目の前を大きな黒い影が横切った。

「ギヤァアア!!」

 カラスのボスだ! 
ボスは天使を自分のナワバリに入り込んだ鳥類の類いと思っているのか、鋭いくちばしとかぎ爪でバタバタと執拗に攻撃を繰り返す。

「おいコラやめろ!」

 天使の体が、宙に止まっていた翼マークのスティックにぶつかった。
永遠に留まり続けると思われたそれが、ポロリとこぼれ落ちる。
『  を好きになる』という文字の書かれたそれは、一直線に急降下を始めた。

「危ないっ!」

 それはポカリと口を開けて突っ立っていた、坂下くんの額にプスリと突き刺さる。

「えぇーっ!!」

 彼に刺さったスティックは、キラリと一瞬の輝きを放つと、ふっと視界から消えた。

「な、なんで……」
「うわ。マジか」

 彼はやっぱり表情の乏しいまんまで、自分の額を撫でている。

「ちょ、なんで避けないのよ!!」
「いや、無理でしょ」

 愕然とその場に座り込む。
ちょっと待って。
私、この顔だけはいい冷徹鉄仮面のことが、好きになっちゃうの? 
当の本人はこの状況にあっても、その涼しげな顔を一切崩すことなく、平然と刺さったところを撫でている。

「このクソ天使! いい加減にして!」

 いまだ地面にのたうち回って格闘を続ける白と黒の塊に、私は飛びかかった。
一人と一羽はパッと空へ舞い上がる。

「ちょっと待ちなさいよ! このスティック、どうにかして!」
「はーい。お邪魔しましたぁ! 後はご自身で何とかしてくださーい。こっちのことはお気遣いなくぅー!」

 天使はカラスに追い立てられながら、あっという間に空の彼方へ姿を消した。
全身の気力が吸い取られていく。
自分に何が起こったのか全く理解が出来ないまま、その場にしゃがみ込んだ。

「うそ……。やだ、信じらんない……」
「あーぁ。いっちまったなぁ」

 春のうららかな放課後の青空には、吹奏楽部のトランペットの音と、学校独自のランニングの掛け声が響いている。
恐る恐る見上げると、坂下くんと目が合った。

「……。で、なんか変化あった?」
「別にないよ。そっちは?」
「特にないね」

 はい。嘘です。
私はたった今、ウソをつきました。
スティックが刺さったその瞬間から、色白で背の高い彼が、キラキラと虹色のオーラを纏い輝いて見えてます。
大きな手に伸びた細長い指がピクリと動くだけで、オーケストラの指揮棒に踊らされるように胸の鼓動が飛び跳ねてます。
振り向いた微かな風圧からの芳香にも、息が止まりそう。
最高難易度の間違い探しくらい変化のない無表情が、愛嬌たっぷりに見えて仕方がない。
どうしてこんな愛しい造形を保ったままキープ出来るんだろう。
信じられない。
この世の全てに感謝だわ。

「ホントに大丈夫なの?」

 私の異変に気づいたのか、彼が顔をのぞき込んだ。
彫刻のように美しさをキープしたまま、一切崩れない表情でこっちを見ないでほしい。
目を合わせていられなくて、パッと顔を反らす。

「だ……、大丈夫、大丈夫! 何にも変わってないから。平気だし! ちょっとビックリしただけ。……。それで、坂下くんの方は?」
「別に何ともない。マジで」

 彼はまだ空中に残るハートマークのスティックを見上げた。
天使が中途半端な位置に置いたせいで、その2本は簡単に手の届かないところで留まっている。

「なんだ。じゃあこのスティックの効果って、ウソなんだ。まぁそうだよな。あんな胡散臭い天使、誰が信じるかっての」

 自分の心臓の音がうるさい。
だって、こんな状況で私が彼のことを好きってバレるのって、ちょっとズルくない?
緊張で全身がカチコチに固まってしまっている。
変な汗が後から後から出てくるのは、気のせいなんかじゃない。
こんなの絶対、健康寿命によろしくないって!

「美羽音―!」

 渡り廊下奥の校舎から、絢奈が駆け寄ってきた。

「落としたイヤホン、見つかったよぉ~!」

 半泣き状態で現れた彼女には、この不自然に浮かぶスティックが目に入らないらしい。

「ごめんね。美羽音。探してくれてありがとう!」
「ううん。それはいいんだけど……」

 坂下くんを見上げる。
このスティック、私たち二人にしか見えてない? 
これはこのままスルーしておいた方がよさそうだと、暗黙の了解で確認した彼は、涼やかな顔に洗練された笑みを浮かべた。

「じゃ。俺はこれで」

 か、カッコい~い! 
軽く片手を上げ、背を向ける仕草さえ色っぽい。
もういっそこのまま、アイドルデビューした方がいいんじゃない? 
絶対にワールドツアーも夢じゃないって!

「ねぇ美羽音。大丈夫なの? 坂下くんになんかされた?」
「え? なんかって、なに?」

 もう心がメロメロに溶かされてる。
頭の中がカーッと熱くて仕方がない。
この目はもう、彼しか映さない。
映したくない。
どうにでもしてくれって言いたいけど、そういうワケにもいかない。

「……。え? されてない。されてないよ」

 絢奈には心配かけたくないから、そこは冷静に判断して誤魔化しておく。

「そう。ならいいんだけど。なんか坂下くんたちって怖いよね。優秀すぎるっていうか出来すぎるっていうか真面目すぎて、うちらとは世界が全然違う感じ。美羽音もいつもそう言ってたよね」
「うん。本当にそう」

 手の届かない人だから、余計に欲しくなっちゃうのは、もしかして憧れってやつ? 
絢奈はまだ心配そうに私をのぞき込む。
そっか。
私の外見、藪に無理矢理飛び込んだせいで、ボロボロだった。
だから誤解したのかな。
彼女に申し訳なく思いながらも、乱れた制服のスカートを何となく整え、大丈夫だからともう一度満面の笑みを浮かべる。

「うちらも帰ろっか」
「そうだね」

 いつものように二人で並んで、永遠にしゃべりながら駅までの道のりを歩いた。
放課後の学校は、やっぱり事件であふれていた。
私はいつものように絢奈の話に耳を傾け、ぎゃあぎゃあ笑いながらも、心はずっと違うことを想い続けていた。