「何故、お前がここに……」
眉間に皺を寄せて恨めしそうに呟く兄に、リエート卿はこう答える。
「俺がリディアの案内役だから」
「はっ?ふざけるな。今すぐ、変えろ」
「ざんね〜ん。これは決定事項で〜す」
兄の苦情をサラリと躱し、リエート卿は馬車の扉を開けた。
「んじゃ、怖いお兄様は放っておいて早く行こうぜ」
冗談半分に『二人で逃避行だ!』と述べ、リエート卿は手を差し伸べる。
────が、兄に叩き落されてしまった。
「リディアに触るな。あと、儀式の間までは僕も行く」
「それはちょっと過保護すぎないか?」
「うるさい。本当は儀式の間の中までついて行きたいところを我慢してやっているんだ。感謝しろ」
『あそこは関係者以外立ち入り禁止だから、しょうがなく……』と、兄は主張する。
そして、『おいおい、マジかよ』とドン引きするリエート卿を蹴り飛ばし、地面に降りた。
「では、父上母上ちょっと行ってきます」
「ああ」
「気をつけてね」
『リディアをよろしく』と快く送り出す両親に、兄は一つ頷いた。
かと思えば、こちらに向き直り、手を差し出す。
「行くぞ、リディア」
「はい、お兄様」
兄の手を取って馬車から降りると、私は両親に『行ってきます』と告げた。
当然のように『行ってらっしゃい』と返事してくれる二人に微笑み、私は白い建物へ視線を向ける。
「ったく、しょうがねぇーな」
一連のやり取りを見守っていたリエート卿は、ガシガシと乱暴に頭を搔いた。
『こうなったら、こいつも連れていくしかない』と判断したのか、兄の同行についてもう何も言わない。
『ほら、ちゃんと付いてこいよ』と一声掛け、彼は歩き出した。
そんな彼に続く形で、私と兄も歩を進める。
────と、ここで前方の建物から白い光の柱が立ち昇った。
「凄い神気だな。複数持ちでも出現したか?」
『ギフトを持っていればいるほど、強い光を放つから』と述べる兄に、リエート卿は小さく頷く。
「時間的に儀式を行ったやつは……多分、皇太子だな」
「あぁ、そういえばもう七歳だったな。去年、父上の仕事で顔を合わせて以来だが、お元気だろうか」
『そのうち、また挨拶に行くか』と呟き、兄は視線を前に戻す。
と同時に、建物の中へ足を踏み入れた。
ドタバタと忙しなく廊下を行き交う神官達を横目に捉えつつ、私達は目的地へ向かう。
時々誰かにぶつかりそうになったものの、兄のエスコートのおかげで無事儀式の間に辿り着いた。
何かの文字が書き込まれた白い扉を前に、兄はそっと手を離す。
「ここから先は、リエートと二人で行け。いいか?何かあったら、大声を上げろ。直ぐに駆けつける」
「はい、お兄様」
銀の杖を両手で握り、私はコクンと頷いた。
『いい子だ』と頭を撫でる兄に微笑み、私はリエート卿へ向き直る。
「よろしくお願いします」
「ああ。と言っても、俺はあくまで案内役だけどな。洗礼式を取り仕切るのは、別の人。ニコラス大司教って言って、すげぇ優しい人だから安心しろ」
『大抵のことは許してくれるから』と言い、リエート卿はポンポンッと私の肩を叩いた。
かと思えば、そっと手を持ち上げ……
「では、参りましょうか?レディ」
と、悪戯っぽく笑う。
おかげで、すっかり緊張が溶けた。
クスクスと笑みを漏らす私は『はい』と大きく頷き、扉と向き合う。
その瞬間────景色が変わった。
比喩表現でも何でもなく、本当に景色が変わったのだ。まるで、瞬間移動でもしたかのように。
ビックリして辺りを見回すと、ちょうど真後ろに白い扉が。
ということは、ここって────
「────儀式の間の中だ」
隣に立つリエート卿は私の予想を裏付けるセリフを吐き、握った手に力を込める。
『安心しろ』とでも言うように。
「指定した者しか入れないよう、ちょっとした仕掛けが施されている。至って普通のことだから、気にすんな……と言っても無理だろうが、まあ慣れてくれ」
もう一方の手でポリポリと頬を掻き、リエート卿は苦笑した。
『俺も最初はめちゃくちゃ驚いた』と零し、小さく肩を竦める。
『あっ、今の話はニクスに内緒な?』と悪戯っぽく笑う彼に、私は大きく頷いた。
リエート卿って一見がさつに見えるけど、ちゃんと相手のことを考えてくれているよね。
よく気がつくし、フォローの仕方も凄くスマート。
『これが真の陽キャか』と感心する中、薄暗い室内の奥へ案内される。
そして何かの祭壇の前まで来ると、リエート卿が手を離した。
無言で騎士の礼を取る彼の前には、司祭服を身に纏うご老人が居る。
恐らく、彼がニコラス大司教だろう。
「リディア・ルース・グレンジャー、前へ」
穏やかな表情でこちらを見つめ、ニコラス大司教は近くに来るよう指示した。
促されるまま一歩前へ出ると、彼は『失礼します』と一言断りを入れてから私の額に触れる。
と同時に、目を閉じた。
「頭を空っぽにして……何も考えないでください」
「はい」
『無心で居ろ』というのはなかなか難しいが、そっと目を伏せてボーッとするよう務める。
そして床のタイルをただひたすら眺めるという行動に走る中、ニコラス大司教は『すぅー……』と息を吸った。
かと思えば、吐息を吐き出すようにして知らない言語を発する。
「*******」
ただでさえボーッとしていることもあり、ニコラス大司教の言葉は一つも聞き取れなかった。
ただ、歌のように滑らかで一切音が途切れなかったことだけは覚えている。
『ニコラス大司教は一体、何を言ったのだろう』と、ついつい考えてしまう中────頭の中に何か……温かくて気持ちのいいものが入ってきた。
かと思えば────体中から力が漲ってきて、凄まじい高揚感を覚える。
『無心にならなければ』と思っているのに、私はこの衝動を抑え切れず……思考と感情を解放した。
その刹那────反射的に目を瞑ってしまうほど強い光が放たれる。
「おいおい……マジかよ。これ、さっきのやつより凄いぞ。一体、どんだけ神様に愛されてんだ?」
思わずといった様子で声を漏らすリエート卿は、『今年の奴らはすげぇーな』と感心していた。
────と、ここで光は収まる。
それに比例して、湧き上がってきた力も消えてしまったが……不思議と満たされている気分だった。
『さっきの万能感は一体……?』と思案しながら目を開けると、呆然と立ち尽くすニコラス大司教の姿が目に入る。
突然の光に驚いたのか暫し放心し、おもむろに顔を上げた。
「これは……」
『信じられない』とでも言うように頭を振り、ニコラス大司教はたじろぐ。
尊敬と畏怖の入り交じったような目でこちらを見つめ、硬直した。
「ニコラス大司教」
さすがに見ていられなかったのか、リエート卿が咎めるような鋭い声で名を呼ぶ。
すると、ニコラス大司教はハッとしたように目を見開き、慌てて姿勢を正した。
気持ちを切り替えるようにコホンッと一回咳払いし、こちらに向き直る。
「すみません。少し取り乱しました」
どこか気恥ずかしそうに謝罪の言葉を口にし、ニコラス大司教は頭を下げる。
『まだ幼い子供の前で何をやっているんだ』と、反省しているようだ。
『大人として情けない』と落ち込みながらも、ニコラス大司教は何とか表情を取り繕う。
「リディア・ルース・グレンジャー、貴方の潜在能力についてお話しします。まずは、魔法関連から────貴方の持つ魔力は約10,800。平均が100なので、脅威的な数値ですね。また、相性の合う属性は氷と風になります」
『大抵一つしか相性の合う属性はないのに、凄いですね』と言い、ニコラス大司教は微笑んだ。
かと思えば、真剣な顔つきに変わる。
「それから、貴方の持つギフトは────合計四つです。詳細については、杖に刻まれた文章をお読みください。こちらは持ち主である貴方しか読めないようになっているため他人の目から隠す必要はありませんが、念のため厳重に保管してください。これはこの世に一つしかない、貴方のギフトの取扱説明書みたいなものなので」
『紛失しても、再発行などは出来ません』と注意を促すニコラス大司教に、私はコクンと頷いた。
手に持った銀の杖を見下ろし、『本当に文字が刻まれている』と驚く。
別にニコラス大司教の言葉を疑った訳じゃないが、こうして実物を見ると衝撃が凄かった。
しかも、本当に読める。全く知らない言語の筈なのに。
『リディアですら習ってない文字よね?』と頭を捻り、まじまじと見つめる。
系統は西洋に近いが、文章を読む方向は上から下……つまり、縦書きだった。
『なんだか、とっても不思議な言語ね』と考えつつ、私はニコラス大司教にお礼と挨拶を口にする。
そして、リエート卿に連れられるまま儀式の間を後にした。
外で待機していた兄とも合流し、私は中央神殿の廊下を歩く。
お兄様はさっきの光……というか、儀式の結果に興味津々のようだけど、さすがに人前では聞けないみたい。
誰かに悪用でもされたら、大変だものね。
貴族の情報は高く売れるって、言うし。
兄より徹底的に叩き込まれた危機感を見事発揮し、私は杖をギュッと握り締めた。
なんだかスパイに狙われるエージェントのような気分になり、ちょっとだけ楽しくなる。
『この機密情報を何としてでも守り抜くのよ!』と自分に言い聞かせる中、私達は建物を出た。
すると────ちょうど向こう側から、両親が血相を変えて駆け寄ってくる。
「「リエートくん……!」」
私や兄には目もくれず、リエート卿の前で足を止めた二人はかなり焦っている様子だった。
即座に『只事ではない』と察し静かになる私達を前に、両親は若干表情を強ばらせる。
母に関しては、顔面蒼白になっていた。
「あのね、さっきクライン公爵家から封書が届いて……その、もうすぐ貴方の元にも届くと思うけど……でも、このことは早く伝えた方がいいと思ってね……あの……」
取り乱すあまり、しどろもどろになる母は目に涙を浮かべる。
尋常じゃない彼女の様子に、リエート卿はもちろん……私や兄まで不安を覚えた。
『一体、何があったんだ!?』と顔を見合わせる中、父がおもむろに口を開く。
「落ち着いて、聞いてほしい。今、クライン公爵家に────魔物の大群が押し寄せてきているらしい」
「「!?」」
『魔物』と聞くなりサァーッと青ざめたリエート卿と兄は、目を見開いて固まった。
徐々に恐怖へ染まっていく彼らの横顔を前に、私はコテリと首を傾げる。
だって、魔物という存在を今の今まで知らなかったから。