私も私で、小さな反逆をすることに決めた。どうやら、文芸部に寄るのがトリガーとなってあの謎の空間に飛ばされるらしい。だったら、ウヅキやカリヤがしていたみたいに帰宅するとしたらどうなるだろう?
 荷物を纏めて、足早に教室を出る。部活動に向かう生徒たちと逆方向へ、逆方向へと向かって歩いていく。ようやく昇降口に辿り着いた、と思ったとき、不意に黒い影が私とすれ違った。振り返って鏡を見る。すると、そこには私ではない少女だけが映っていた。
 白く長い髪、赤い目、裂けそうなほど開かれた口。学校の制服ではなく、ラフな格好をしている。きゅるん、とその瞳が光る。
 まさか。私はその少女を知っている。名前を呼ぼうとしたところで、彼女が口を開いた。

「──逃げられるとでも思ったの?」

 その刹那、鏡が光りだして、私の視界を白で奪っていく。意識まで白く消えていくかと思ったところで、その眩しい光が消えていく。そして気がつけば、私は文芸部の入り口に立っていた。辺りを見回しても、非常口の光が灯っているだけで、外は暗く黒い。薄寒い空気が立ち込めていて、体が痺れるように震える。
 大きな溜め息を吐き、文芸部の扉を開ける。椅子に座り、しくしくと泣いているリリカ。気まずそうにイヤホンを外すマナミ先輩。リリカに寄り添うヨザクラ先輩とヒイラギ君。すでに椅子にどっかり座っているカリヤに、私のほうを見て、ようやく来たね、と笑いかけるハヤト。

「皆待ってたよ。話し合いを始めよう」
「……ずいぶん平気そうじゃん、あんた」
「大丈夫じゃないよ? でも、醜い争いをするのが耐えられないだけだよ」

 そう言って肩を竦めるハヤトに、私は呆れた。彼はいつもどこか他人事だ。自分の友人が死んでいたら、もう少し動揺しただろうか?
 ……いや、そんな思考は止めよう、まるでこの場を愉しんでいるみたいだ。
 リリカの隣に座れば、リリカは顔を上げて、マキちゃん、と私のことを呼んだ。

「……もしかして私、死んじゃうのかな……」

 まるでウサギが震えるような目でこちらを見つめてくる。その顔を見ていると、彼女を死なせるのは可哀想だとどうしても思ってしまう。それはやはり、文芸部に入ったとき、始めて出来た友人だからだろうか。
 彼女を死なせてはいけない。でも、死なせないためには私が死ななくてはならない。私はなんて声をかけて良いか分からなくて、ただ背中を撫でることしかできなかった。神様がいるとするならば、どうしてこうも私に重荷を乗せるのか問いただしたい。葛藤にも似た感情で胸がいっぱいになって、顔を上げることができなくなっていく。
 誰かが話し合いの開始を告げなくてはいけない。それがヨルであってほしいと、私はどこかで思っていた。だって、そうでもないとまるで私たちが自主的に殺し合いをしているようなものじゃないか。
 誰もがヨルの声を待っているような、そんな感覚がした。誰もヨルのことなど、歓迎したくもないはずなのに。そしてそうやって待っている私たちを喜ばすように、ヨルの声が聞こえてきたのだった。

『御機嫌よう! 元気無いなぁ、キミたち。せっかく面白くなってきたところなのに!』
「会議を始めろ、ってことだろ? だったら黙っててほしい」
『カリヤマサユキ……ううん、皆ワタシを待っていたように見えたんだけどなぁ。まぁ、じゃあ始めちゃって!』
「僕は決定的な手がかりを見つけたんだ。裏切り者が誰かを見つける、大きな手がかりを!」

 皆が息を詰まらせる。カリヤは不動だ。堂々としていて、恐怖一つも無いような顔をしている。黒い目を見開いて、ぎょろりと動かして、ヨザクラ先輩に向けた。

「ヨルの正体は、ヨザクラ先輩だ」



「えー……え、じゃあ、ナナコちゃんがヨル、ってこと……? でもそれっておかしくない?」

 マナミ先輩が辺りを伺うようにして声を上げた。ヨザクラ先輩は膝の上で手を合わせ、じっとカリヤのことを見つめる。

「……わたしはここにいるよ?」
「そうだよー、ナナコちゃんはここにいるし、どうやってヨルと結びつけてるの?」
「それは分からないけど、絶対共謀者がいる。その共謀者が誰かは分からねーけど……この中でヨルに関わりがあるのは、ヨザクラ先輩なんだ」
「証拠が無いじゃない、ヨザクラ先輩を詰める理由が」

 私が口を出せば、カリヤの目は今度こちらへと向けられた。膨張した黒い目と目が合う。私は咄嗟に目を逸らした。

「お前、さては部誌をまともに読んでないな?」
「部誌……? 部誌に何の関係があるわけ?」
「ヨザクラ先輩のペンネーム、忘れたのか?」

 私の言葉に切り込むように鋭く早く言葉が放たれる。その話を聞いて黙っていたリリカが、あ、と声を上げた。

「ヨザクラ先輩のペンネームって、『夜桜』だよね……? 確か、本名と同じって……」
「ヨル、って言葉が入ってるだろ? ヨルは自分の名前から取ったんだ!」
「ちょ、ちょっと待ってよー。そんなことでナナコちゃんを疑うなんて、そんなの──」
「じゃあ、他に手がかりを持ってるんですか? 持ってないですよね?」
「そ、それは、そうだけどさー……」

 マナミ先輩が肩を落とす。ヨザクラ先輩は俯き、黙り込んでいた。もともと寡黙なタイプだから、こういうときによく喋らないのは自然だ。でも今の状況では、言い詰められて降伏しているようにも見えなくはない。
 ペンネームで被疑者を決めるなんて、なんて薄いんだろう。だが、この状況で何か言い返すことはできない。私はスカートの中の髪飾りを握り締めた。
 ヒイラギ君が賛同する。いや、賛同せざるを得ないのだろう、自分が殺されたくないから。

「この変な空間が何なのか、共謀者が誰なのか……それは分からないけれど、疑うに値するヒントではあると思う。これだけ女子がいるんだから、その中に一人裏切り者がいてもおかしくはない……」
「これだけって、もうこちとら二人もいなくなって同数に近くなってるんだよ。しかもどちらも裏切り者じゃないし」
「なんだよ、ツクヨミは僕に反対するのか? じゃあ誰が怪しいんだ?」

 カリヤに言われて、私は閉口する。誰が怪しいのかは分からないし、確かにもう一人の裏切り者はヨザクラ先輩かもしれない。その場合は守るべきだろう。かといってここで黙れば、私も纏めて疑われるかもしれない。もう一人の裏切り者が誰かなんて、分からないのに。
 口を閉じたのを見ると、彼は満足したのか、ふん、と鼻を鳴らした。決まりだな、と言い足して。

「ヨザクラ先輩、僕らに何を隠してるんだ? 共謀者は誰なんだ?」
「……わたしは裏切り者じゃないよ。わたしは……放送室にあった、赤い髪飾りが怪しいと思う」
「赤い髪飾りィ?」

 ヨザクラ先輩の言葉に、カリヤが眉を上げる。カリヤは放送室にはやって来なかったはずだ。続けてヒイラギ君がフォローを入れる。

「俺たち、昼休みに放送室に行ったんだ。そしたら、赤い髪飾りと手紙が置いてあって……」
「何だそれ、聞いてねーぞ」
「カリヤは来てなかったからね。手紙には、『裏切り者は一人で来るように』と書いてあったんだよね」

 ハヤトが続きを言えば、はっ、とカリヤが顔を上げ、またヨザクラ先輩を睨みつけた。ヨザクラ先輩は自分の三つ編みを弄りながら、目を斜め下へ向ける。

「放送室探索を決めたのは、ヨザクラ先輩……!」
「そう言われると……そうだね。もしかして、裏切り者へのメッセージだったのかも?」
「ヨザクラ先輩はただ皆を纏めたかっただけだと思う。カリヤ、あんたはヨザクラ先輩を疑いたいがために限られた情報を結びつけてるだけだよ」
「さっきからツクヨミはそればっかりだな。ヨザクラ先輩を庇ってんのか?」

 しまった、悪手だった。私はまた黙り込んだ。
 きっと心の底で、ヨザクラ先輩が裏切り者だと思いたくないのだろう。ヨザクラ先輩ほどに優しくて一生懸命に皆を纏めてくれているような人を死なせたくないのだろう。罪悪感、だろうか。こうやって詰められているのが可哀想だし、理不尽だと思う。
 堰を切ったように、マナミ先輩が口を出した。

「そうだとしても、あたしはナナコちゃんを疑えないよ……」
「マナミ先輩……わ、私は……どうしたら……」
「何を迷ってんだよ。今投票するとしたらヨザクラ先輩だ! たとえそうじゃなくても、そうなるんだよ!」
「そうなる……って、どういう意味?」

 ヨザクラ先輩が目を上げる。カリヤの意図を汲もうとしているのだ。
 それを遮るように、マイクのハウリングの音が入ってきた。会議終了の合図だ。ヨルは咳払いをすると、しゅーりょー、と緩い声で言った。
 部員たちは黙り込み、スピーカーを見上げた。

『はい、話し合いは終わり! それにしてもカリヤマサユキ、キミはずいぶん自信ありげだね!』
「ふん、話し合いが終われば分かることだ。裏切り者はヨザクラ先輩で、選ばれるのもヨザクラ先輩だ」
『へー、何か良い方法を見つけたんだねー。まぁキョーミ無いけど。それじゃあ投票、いってみよう!』

 スマートフォンでNO TITLEをタップすれば、昨日まで見てきたような投票画面が出てくる。ミカン先輩とウヅキの写真はモノトーンになっていて、赤いバツが書かれている。気味が悪い。
 私は誰に入れれば良いのか……悩んだ挙げ句、カリヤを指名することにした。ヨザクラ先輩が裏切り者である可能性がある以上、身内切りはできない。それに、投票先はクローズドなのだ、一人くらい選んだって何とかなるだろう。
 マナミ先輩は周りを見回し、まさかナナコちゃんを選ばないよねー、と不安そうな声で言った。リリカも私も、口を開かないでいることしかできなかった。ヒイラギ君とハヤトも黙っている。
 静かな時間が続く。集計中、の文字が消えたとき、皆、弾かれるようにスマートフォンに手を伸ばした。
 スマートフォンに、集計完了の文字が現れたとき。誰かは希望を、誰かは絶望を、誰かは期待を、誰かは安堵をもってスピーカーへ目を向けた。

『今回の最多票は──うん、ずいぶん拮抗したけど、ヨザクラナナコだよ!』

 ヨザクラ先輩はスマートフォンを片手に握り締め、立ち上がる。逃げようとしたのか、歩み寄ろうとしたのか──瞬きをしたときには、地面に崩れ落ちていた。びくり、びくりと手先が痙攣していたが、それも止むと、天を見つめていた目は床へと逸らされた。
 マナミ先輩が駆け寄っていくが、ヨザクラ先輩に触れることもできず、手を引っ込めてしまった。画面にこんな文字が表示されたからだ──「残念! 裏切り者ではありませんでした!」。
 カリヤは目を見開き、その表示を見た。だが、取り乱すことも無く、ふう、と安堵の息を吐くだけだ。死を悲しむどころか、まるで計算どおりだとでも言いたそうだ。
 悔しいけれど、私も同じ気持ちだった。ヨザクラ先輩が可哀想、それは正しいのだけれど、舌を満たしたのは乳白色の甘い安心感だった。
 ……これで、裏切り者である私もこのゲームを生き残りやすくなる。
 カリヤの目がぎらんと光った、そして、私とマナミ先輩、リリカに向けられた。彼の言葉に、私たちは思わず息を呑んだ。

「いいか、明日からはそっちから処刑していくからな。拮抗したってことは、どうせお前らが僕に入れたんだろ!」
「……え? そ、それ、どういう意味?」
「駄目だよ、脅したりなんかしたら……でも、これは本当。まだそっちに裏切り者がいるかもしれないし」

 マナミ先輩の顔が凍りつく。ヒイラギ君は優しく温和な口調だったが、カリヤを擁護している。
 言い返せる人は私しかいない。一人黙っていたハヤトが薄く笑って答えた。

「裏切り者がいるのはそっちのほうかもしれないのに?」
「うーん、まぁそうなんだけど……でも、そっちにいるほうが多いかな、と思って。だからほら、こういうことだよ──」

 ハヤトは白く長い前髪の下で、隠れていた赤い目をぎらつかせて嗤った。

「──組織票、って知ってる?」

 ……その言葉を最後に、意識が切り取られ、黒に染められた。



 また、自宅の前に立っている。まるで何も無く、普通に帰ってきたかのように。
 ハヤトの言っていた言葉に、胸が痛んで動悸がする。組織票? つまり、どういうことだ?
 組織票とはつまり、誰かが組んでいるということ。そうして、投票の結果を握っているということ。

「──まさか」

 思い至った。だが、それだけでは上手くいかないところもある。その法則が、崩れようとしている。
 これを思いついたのはカリヤだろう、そして与しているのは男子二人だ。今の残り人数は、六人だ。過半数の票を持っていることになる。あとは誰かを誘導してしまえば──カリヤの独裁が始まる。
 思わず苦笑いが溢れてしまった。カリヤはそうまでして死にたくないのだ。裏切り者がいるかどうかなんて、関係無い。もしもヒイラギ君とハヤトが裏切り者だったらどうするつもりなのだろう。いや、実際は私が裏切り者なのだが……
 一番裏切り者以外にとってマズいのは、カリヤが裏切り者である場合だ。彼の一声で裏切り者以外が殺されていくとしたら? だとすると、手を組んでいる中に裏切り者がいる可能性もある。
 私が死なないためにできることは一つだ。反逆するのではなく、むしろ反対に一度は賛同するしか無い。
 このゲームは多数決で人が死ぬ、そういうゲームなのだから。
 自室に戻ってスマートフォンを確認すれば、リリカとハヤトから連絡がやってきていた。リリカのほうは、ハヤトの言った意味を推し量るものだった。

──組織票ってどういうことだろう。私たちが危険ってこと?

 リリカは不安なのだろう、昨日のハヤトのように電話がしたいと言ってきた。私は電話のボタンを押そうとして、止めた。これ以上両親に要らぬ心配をさせてはいけない。
 参考書を開き、スマートフォンを傍らに置いて勉強を始めた。リリカには慰めの言葉をかけ続けた。大丈夫、すぐに死ぬことなんて無いから──もちろん、その言葉に嘘は無い。組織票に参加することで、リリカを守ることができるかもしれないからだ──その代わりに、誰かが犠牲になるのだけど。
 途中でハヤトにも返信をした。ハヤトはというと、私に組織票への参加を勧めてきた。

──マキだって死にたくないでしょ? カリヤに話通しておくよ。

 私は彼の言葉に二つ返事で応じた。あの横暴なカリヤに頭を下げるのは多少プライドが許さないが、このままでは自分もリリカも処刑されてしまう。生き残るためだったら、何だってしなくてはならないのだ。
 もしもここにウヅキがいたら。彼女はぼさぼさな髪を掻きながら、リリカを慰めて、自分たちも組織票を提案したりしたのだろうか。彼女も生存意欲は強いだろうし、プライドも高いだろうから、真っ向からカリヤに対抗していたかもしれない。その強さに、私は欠けている。だから、こんなに弱いのだ。
 机の上に、ポケットにしまっていた赤い髪飾りを飾っておく。それを一度見ると、私はノートまとめを始めたのだった。



 今日の朝、ハヤトの進言で組織票について話す機会を与えてもらえるらしい。いつも乗っている一本前の電車に乗れば、少し空いていて座ることができた。懐から単語帳を出して勉強するだけの余裕はありそうだ。
 学校に着けば、まずはカリヤがいるクラスへ向かった。理系文系が混じっている珍しいクラスでもある五組に向かえば、そこにはカリヤとヒイラギ君が待っていた。ハヤトはまだ来ていないらしい。

「来たな、ツクヨミ」
「ハヤトは?」
「アイハラはなんか寄るところがあるから遅刻するって」
「まぁ、いつもどおりか……」

 それで、とカリヤが頬杖をついてこちらを見上げてきた。非常にムカつく。非難する言葉が口を突いて出てきそうになる。だが、それをなんとか呑み込み、冷静を装って話し始めた。

「私はあんたたちの戦術について理解したよ。その上で、賛同する」
「はぁ、つまり死にたくないと?」
「……死にたくはないし、合理的だと思ってるの」

 握った拳が震える。こんなこと言いたくないのに。カリヤなんかに頭を下げたくないのに。そんな気持ちを押し殺し、お願い、と言った。

「私も仲間に入れて」
「ほら、良いんじゃない、カリヤ。君の戦術は合理的だってさ」
「ヒイラギは黙ってろ。……ふうん、良いんじゃねーの? じゃあ、次の投票先を決めるか」

 ヒイラギ君は苦笑して橋渡しをしてくれた。カリヤは頬杖を解いて、真剣な顔でこちらを見上げた。さすが幼なじみだ、ヒイラギ君はカリヤを乗せるのが上手い。
 カリヤは指を二本出し、二人だ、と言った。眼鏡がきらんと光る。

「この作戦に入ってないのは、二人だ。マナミ先輩と、クルミだ」
「昨日の投票は、ここ三人と誰か一人が投票したから成立したわけね」
「まずはこの二人を処刑して、裏切り者を一人見つけ出す」

 私は苦い顔をしたに違い無い。リリカを処刑する、という言葉にだ。
 私には、確信めいた何かがある──リリカが裏切り者のわけが無い。だって、ウヅキの投票のときだって不正をしてはいなかった。私とリリカを除いた誰かがウヅキに投票したということになる。だから、彼女を死なせるわけにはいかない。
 どうにかして誘導しなければならない。そのためには、マナミ先輩を売らなくてはいけないことも、分かっていた。でも、リリカを死なせないためにはそれしか無い。

「だとしたら、今日はマナミ先輩で良いと思う。二人も知ってるとおり、リリカは裏切り者ではないから」
「『知ってるとおり』って何だよ、クルミが裏切り者の可能性だって無くはないんだぞ」
「でも、ウヅキ処刑のときに不正を働いた人はリリカ以外だよ。そこから探していったほうが良いと思う」
「……チッ、それも一理あるな……」

 上手く伝わった! 心の中でガッツポーズをする。これで、私とリリカが処刑されることは免れるだろう。今の私の目標は、私が死なないこと、そしてリリカが死なないことだ。これだけ守れれば、とりあえず大丈夫だ。
 ヒイラギ君は、分かったよ、とバニラ色の笑顔を見せ、私の参加を承諾した。
 話が纏まったところで、ハヤトがやって来た。もう始業五分前だ。あはは、と笑い、白い髪を掻くと、着席して私のことを見上げた。

「それで? 話は纏まった?」
「……うん。よろしく、ハヤト」
「こちらこそよろしくね、マキ」

 ハヤトの笑顔に胸騒ぎがして、唾を飲み込む。白い髪の話は、するべきだろうか? いや、まだ何も決まっていない。もしかしたら別の人の髪だということもあるだろうから。
 それでも私は、逃げるようにして教室へと戻った。



 授業が終わっても、リリカが失踪することは無かった。彼女は私のほうを見ると、こくん、と強く頷いた。

「文芸部に行こう」

 私も頷いて、教室を出た。
 道中、リリカが私に話しかけてくる。彼女は申し訳無さそうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。

「ずっと迷惑かけちゃってごめんね……」
「ううん、気にしないで」
「でも、ちゃんと立ち向かう勇気が出てきたの。早く裏切り者を処刑して、生き延びるんだって……」
「……そうだね、頑張ろう」

 リリカの笑みは弱々しい。それでも、確かにその黒目には光が灯っていた。
 だからこそ、胸が痛い。あんたの処刑したい裏切り者は、目の前にいるんだ。どちらかは生きて、どちらかは死ななければならないんだ。
 それでも、私にできることは、リリカをできるだけ生き延びさせることだけだ。
 文芸部に辿り着く。扉を開ければ、ブツッ、と音がして、辺りの光景が変わる。ヨザクラ先輩無き今、取り残されているのは、スマートフォンの画面を食い入る様に見ている──オフラインゲームでもしているのだろう──マナミ先輩だ。三人の男子たちは椅子へすでに座っている。空席は三つ。マナミ先輩の両隣は空いてしまっていた。
 マナミ先輩が顔を上げる。私たちが座ると、スマートフォンを机に置いて、集まったねー、と言った。

「……ナナコちゃん、裏切り者じゃなかったねー。次は、誰を選ぶの?」
「マナミ先輩。多数決のゲームで、勝つ方法は何だと思います?」
「え……逆に、カリヤ君は何だと思うの?」

 カリヤは、ばっ、と立ち上がり、腕を組んだ。リリカとマナミ先輩が目を丸くしてそちらを見る。彼が得意げに言いたいのは、マナミ先輩にとっては絶望を与える言葉だ。私はそれを止めることはできない。マナミ先輩は、リリカを守るために選ばれてしまったのだから。

「必勝法がね、あるんですよ。組織票を作るっていう」
「……あー、なる、ほどね……それで、誰かを選ぶ、ってことねー……」
「その時点で話に入ってないってことは、先輩は梯子を外されたってことです」

 梯子を外す。意味は、仲間を裏切り孤立させるということ。まるで裏切り者がするような所業に、マナミ先輩は顔を曇らせた。
 リリカが俯く。何か言うことさえできないようだ。ここで何かを言えば、次にロックオンされるのはリリカだ。カタカタと震えて怯えている。あまりにも可哀想だ。

「話し合いは終わりです。今日の処刑先はマナミ先輩で決定なんで」
「で、でも、あたし裏切り者じゃないよ? ヨルって名前にも関係無いしー……ナナコちゃんだって裏切り者じゃなかったんだよ?」
「そういう問題じゃないんです、カリヤは。単純にオレたちが死にたくないから別の人を標的にするって言ってるんですよ」
「おい、ハヤト──」
「ホント醜いですよね。だから、恨むならカリヤにしてくださいね?」
「お前……ッ!」
「無駄な争いなんて嫌だなー、いちいちキレ散らかすのもどうかと思うし」
「ふざけんなよ、お前を選んでも良いんだからな!」

 カリヤがハヤトの胸ぐらを掴む。ハヤトは口角を下げ、はぁ、と長い溜め息を吐いた。赤い瞳がつやりと冷たく光った。

「オレ、こういうの嫌なんだけどな……」
「だったら煽らなきゃ良いだけの話でしょ」

 私の言葉に、ハヤトは、同感だね、と言って緩くカリヤの体を退けた。
 リリカがそんなやりとりを見てか、小さく、おかしいよ、と呟いた。カリヤが声を出して威嚇する。

「なんでだよ」
「だってマナミ先輩は何も悪くないんだよ!? なんで殺されなきゃいけないの!?」
「……確かにあたしは、悪くないけど……でも、今さら……」
「マナミ先輩は何か無いんですか!? 自分を殺しても意味無いとか、自分を殺したら悪いことがあるとか……!」
「……ゲームだったら、あったかもしれないけど……無いよ、何も……」

 マナミ先輩の言葉には覇気が無かった。ただ、思い詰めて、鈍色の絶望した顔をしている。もう何をやっても駄目だ──そう言いたげだ。
 それを見て悲しげな顔をしたリリカは、今度はハヤトたちのほうを見た。唇が震えている。

「じゃあ、なんで皆それを見過ごしてるの!? 人が死ぬんだよ!? どうしてそこまで冷静でいられるの!?」
「冷静じゃないからだよ」

 ヒイラギ君の声色がひやり、背中を撫ぜた。低く、凍てついた声だった。彼の吊った目に、光は無かった。リリカが怖がるように、ひっ、と声を上げる。

「皆死にたくないからカリヤの言葉に縋ってる。俺もそう、ハヤトもそう、そしてマキも……」
「マキ、ちゃん……?」
「……ごめん、リリカ。私もカリヤに従う。死にたくないし、それに──」
「そう……そうなんだね……私は、カリヤ君に投票するよ……マナミ先輩も、きっとそうしますよね……?」

 リリカの声には、濡烏色の失望が滲んでいた。ぞくりと鳥肌が立つ。嗚呼、私は、リリカを守るために、リリカの信頼を損なってしまった。今のリリカには何を言っても無駄だろう。
 失望、絶望、そして生存欲。嫌なものが混じり合った空気は、吸い込みづらくて、苦しくなる。誰もの言葉が重々しく、呑み込めない。ここにいるだけで地獄のようだった。
 私たちがそれ以上言葉を紡げないでいると、そんな空気を打ち壊すようにして、ヨルの言葉がアナウンスされた。

『煮詰まったかな? それじゃあ、話し合いタイムしゅーりょー! 今から投票に入ります!』

 画面が投票画面に切り替わる。ヨザクラ先輩の顔にも、大きな紫色のバツが描かれている。私が選ぼうとしたマナミ先輩の下には、カリヤの顔が表示されていた。
 私はふと、そこで思い至る。もしもここでカリヤの顔を押したらどうなるのだろう。カリヤとマナミ先輩を選ぶ人が同数になったら、二人とも殺されるか、もしくは他のゲームでもそうであるように、決選投票みたいなものが行われるのだろうか。それは面白そうだ、と考えが至って、止まる。自分は何を考えているんだ? 今裏切ったって、私が裏切ったのはバレバレだ。
 リリカのほうを見る。リリカは真剣な顔をして、スマートフォンを胸に当てていた。彼女はカリヤに入れたのだろう。
 心の中でもう一度、ごめんなさい、と、マナミ先輩に、リリカに向けて謝りながら、ボタンをタップした。
 程無くして、ヨルの声が聞こえてくる。マナミ先輩はぐったりと項垂れ、リリカは、きっ、と前を見据え、そのときを待っていた。

『最多票を獲得したのは──マナミアヤネでしたー! それじゃあ、処刑いってみよう!』

 マナミ先輩の体が一度反ったかと思うと、まるで電源を切られたかのように彼女の体から力が抜け、地面に倒れ伏した。もう彼女に駆け寄る人はいない。リリカが、やっぱり、と呟いた。

『キミたちもずいぶんと薄情になってきたね。でも……マナミアヤネは、裏切り者じゃないよ!』

 床に落ちているスマートフォンの画面にも、確かに「残念! 裏切り者ではありませんでした!」と書かれている。それを確認すると、カリヤは立ち上がり、ずんずんと距離を詰めてリリカのほうへと向かった。すかさず間に入れば、カリヤは片目を細めてこう言った。

「分かってるよな、クルミ。明日はお前が処刑だからな」
「脅さないで。クルミが怖がってるでしょ」
「言っとくけど、お前に拒否権は無いからな。死にたくないって言ったのはお前だぞ」

 早口にそう言うと、カリヤは数歩下がって友人たちのほうへと戻っていった。リリカが、あの、とか細い声で言う。

「ごめん、マキちゃん……明日は、一人にしてほしい……」

 驚くことは無い、当然のことだ。私は頷き、彼女から離れることしかできなかった。
 裏切り合い、梯子を外した私たちに会話は無い。独裁者・カリヤの前で文句を言うこともできない。意識が薄れゆく中、なぜだか、昔の小説で読んだ言葉が頭を過った。

──アレだよね、途中で組織が壊れて上手くいかなくなるやつ。